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祭りのあとさき 1998/6/7 東京優駿-日本ダービー-(GI)

 かなり冷えた一夜だった。ある人は寝袋にくるまり、ある人々は麻雀卓を囲み、ある人は眠そうな目で新聞に見入り、ある人々は雑談で盛り上がる……。青白く仄暗い蛍光灯に照らされ、じりじりとした熱気が冷気の下に澱んでいた。
 ダービーは「お祭り」なのだそうだ。確かに、徹夜で競馬場前に居並ぶ人々の周囲には、祭りの前の一種独特な空気が漂っていた。
 私はその中に身を置いている事に、少なからず満足していた。去年拾えなかったものを、今回は“その場”に居合わせることで拾えるに違いない、という半ば確信めいた気持ちと、いや何があっても拾ってみせる、という何か借りを返すような気持ちとを抱いて、人々の間に身を横たえていた。

 去年、私にとって初めてのダービーは、遠い空の下での出来事だった。しかも、レース前に「私の物語」は終わっていた。テレビ画面の向こうで、一人の騎手が馬を下り、一頭の馬と共に去っていった。あまりに突然な終幕の後にも容赦なく時は移り、二分と二十何秒かの後には二冠馬が誕生していた。その間、私はただただ呆然とし、友人宅のテレビの前で、次々とビールをあおるしかなかった。去年のダービーは、言わば「あとがき」でしかなかった。肝心の「物語」は空白のまま残され、何を持ってしても埋めることができず、あっという間に一年は過ぎた。

 今年のダービーが近づくと、私は自ら「物語」を手にしようと躍起になった。もちろん、それは純粋に「お祭り」を楽しむ為の準備でもあったのだが。友人達を巻き込み、夜中までせっせと横断幕を作った。友人達は半ば呆れながらも、一緒に飲んだり、騒いだりしながらつき合ってくれた。応援馬の勝負服と揃いの色のリボンを作ったり、横断幕と同じデザインでTシャツを作ったりもした。高校や大学時代の文化祭、大学祭を彷彿とさせ、それは結構楽しい作業だった。
 
 夜中の競馬場前の列に加わったのは、そうして作った横断幕を確実に張る為だったが、同時に、そうして費やす時間が「物語」へと繋がっていくのなら、と自分を追いつめていたのも事実だった。そしてその時間は、確かに自分の中で「お祭り」に向かう緊張感、高揚感へと変容し、弦のようにきりきりと張りつめられていった。寝不足もあって、私はだんだんとハイになっていったが、一方でそんな自分を面白がってもいた。

 周囲のざわめきで私は目を覚ました。いつの間にか、浅い眠りに落ちていたのだ。空が白み始め、人の動きが慌ただしくなっていた。しかし、開門時刻が近づくに連れ、心なしか人々の声のトーンが落ちていくようにも感じられた。それに反して、目に見えない緊張感に煽られるように、整理係員のハンドマイクの声は上ずっていった。
 
 いよいよ開門。人の列は何かに弾かれたかのようにばらけ、それぞれの目的に向かって走り出した。半ばパニックのような状況の中で、私もまた、がむしゃらに走り出してしまっていた。結果、道に迷う事になってしまったが、職員らしき人に道を教えてもらい、ようやく私は横断幕受付の列に加わることができた。残り僅かとなっていたパドックのスペースに、人の手を借りながら何とか横断幕を張り終えると、どっと緊張が解け、私はその場にへたりこんでしまった。
 
 やがて、ぽそぽそと細かい雨が降り出した。雨の中、府中名物と勧められた「きねうち麺」をすすった。既にメインレースのような熱気に包まれたパドック脇で、第一レースに出走する馬達が周回するのを、私はぼんやりと眺めていた。

 今年、「私の物語」の主役はセイウンスカイ。ジュニアカップをテレビで見た私は、セイウンスカイに一目惚れしてしまったのだ。
 その後、去年の二冠馬サニーブライアンの引退式の日、好きだった彼の最後の姿を見る為、私は中山競馬場に足を運んだ。その日の中山のメインレースが弥生賞だった。セイウンスカイは、サニーブライアンを彷彿とさせる逃げっぷりで、二着に粘り込んだ。ゴール寸前、スペシャルウィークに差されてしまった彼だったが、スケールの大きな走りと、彼に従ってなびく白い尾とが、私の心を捕らえて離さなかった。芦毛馬に初めて熱を上げた私は、彼を「きたねえ芦毛」あるいは「いるか馬」と呼ぶことにし、今年のクラシックレースは彼を追いかけようと心に決めた。
 そして、彼は私の期待通り、見事皐月賞を掌中にした。私の熱狂度はますます上がっていった。「優駿」の表紙を飾った彼を見る度、「何て素敵な馬なのだろう」と思わず溜め息をついてしまう程だった。殆ど、アイドルに熱を上げる中学生と同じレベルである。

 パドックに張った横断幕には「蒼穹の果てをめざせ SeiunSky」という文字を入れていた。「蒼穹」などと、わざわざ難しい語を使って悦に入っているあたり、いかに私が冷静でないかが分かろうというものだ。しかし、それをパドックの反対側から眺め、「お祭り」に酔っている方の私は、すっかり満足していた。
 
 午後になると雨は止み、人は増える一方だった。これまでにない程の人混みに揉まれ、その熱気に頭がぼうっとする程であった。やがて、パドックとスタンド前を往復するのも容易ではなくなり、午後になって合流した職場の仲間達と、ゴール板近くに陣取ることにした。しかし、既にそれも難しく、ようやく確保した位置からでは、つま先立たなければターフビジョンもまともに見る事ができなかった。そんな中にあっても、いよいよ私の心は騒ぎ、肌は粟立った。

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(ダービーのパドックにて)

 ダービーの発走時刻が近づき、雲が少し切れてきた。薄蒼い空が雲の向こうに見え隠れしている。私はそれを吉兆と受け止めた。彼の馬券を手のひらの間に挟み、力を込めた。
 あとは、全て無事で……。
 空を見上げると、微かに差し込む陽の光で、雲の端が白く輝き始めている。歓声が高まり、全てが沸きたつ。ファンファーレが高らかに鳴り渡った。そして……。
 
 ─肝心のレースの事は、実のところあまり記憶にない。覚えているのは、彼が少しゲート入りを嫌った事、意外にもキングヘイローがハナに立った事、最後の直線、力尽きた彼を、スペシャルウィークが素晴らしい速さで交わしていった事位だ。気がつけばレースは終わっていて、武騎手を讃える声と拍手とが周囲にあふれていた。
 二分三十秒足らず。全てがこの短い時間に一気に昇りつめ、そして「お祭り」は幕を閉じた。彼は無事、最後まで走り抜けていった。「私の物語」を連れて。白い尾の残像が、群衆の向こうをちらと過ぎていった。

 余熱の中での最終レースも終わり、私は一緒に観戦していた仲間達と、横断幕を外しに行った。レース前には、七十枚程の横断幕に彩られ華やかだったパドックも、既に閑散としていた。一日で、私の横断幕の端は破れ、糊付けした文字は一部剥がれかけていた。
 
 それを畳み、パドックを去ろうとした時、若い二人組の男性が話しかけてきた。彼らもセイウンスカイを応援し、横断幕を張っていたと言う。「青雲スカイ」と書かれた彼らの横断幕は、はっきりと記憶に残っていた。メルヘンチックな雲の背景とは裏腹な文句が、妙に強烈な印象を私に与えていたからだ。「喰うか、喰われるか」。何故その文句なのかと訊ねる私に、彼らはセイウンスカイの父の事を口にした。種牡馬廃用の後、行方不明となってしまったシェリフズスターに因んだという。
 併せて彼らは「俺達の本気を見て下さいよ」と、スペシャルウィークとの馬連の馬券を差し出した。十四万円だった。額面がそのまま、馬への思いの深さを表すものではないと思いつつ、やはり驚かずにはいられなかった。
 対抗するように、横断幕と揃いの柄で作ったTシャツを私が見せると、彼らも得意気にオリジナルのTシャツを見せた。「セイウンス会」という文字と、十万円の単勝馬券がプリントされている、ように私には見えた。しかし、一緒に見ていた仲間達は後になって、溜め息混じりに私に言ったものだ。「凄いよなあ。あれ、よく見たらマジックで手書きしてあったんですよ」と。
 彼らと記念撮影をし、「菊花賞で、また会いましょう」と別れた。誰かに思いの丈をぶつけなければどうにも帰れない、という風情の二人組だった。別れた後、彼らはどこに帰るのだろう、と少し気になった。

 疲れ切って、帰りのバスの中では、あっという間に眠りこけてしまった。が、眠りに落ちるまでの僅かな間、様々な人の顔、馬の事が頭の中を過ぎった。
 
 夜中の競馬場前で眠る人達。私に道を教えてくれた職員とおぼしき男の人。朝、横断幕受付の列に並んでいた人々。私の後ろに並んでいた人達の中には、張れずに持ち帰った人もいる筈だった。一緒に横断幕を張ってくれた人達。風邪をおして応援に駆けつけたという女の人。いろんな顔をした、人、人、人。
 そして、馬達。この日を目指していた、何千頭の見知らぬ馬。セイウンスカイに熱を上げる前には、他に応援しようと決めていた馬もいた。その馬はもう、この世にはいない。
 
 あの場所にいた人、いなかった人。いた馬、いなかった馬。
 
 去年の無念を晴らしたかったであろう安田富男騎手の姿は第九レースにはなく、去年のダービージョッキーである大西騎手は一日騎乗がなかった。
 一年前のあの日、一枠一番ゲートに入る筈だったあの馬─シルクライトニングは、未だ見えない再起の日の為、運動を始めていると噂に聞いた。同じ日、栄光に輝いたサニーブライアンは既にターフを去っている……。
 胸から何かあふれそうになった。が、その前に意識がすとんと暗いところに落ちていったようだった。
 
 家に帰り着き、そのまま眠ってしまいたかったが、その前に風呂に入った。セイウンスカイと揃いにしようと、私はポニーテールに結った髪の先を白く染めていた。それを寝る前に落とさねばならなかった。髪を下ろし、洗い始めると、帰りのバスの中、あふれそうになった何かが、どっと堰を切ったように流れ始めた。嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか、分からないままに、それは流れ続けた。
 ただ一つ分かったのは、去年拾えなかった「物語」を、私は確かに手にしていたという事だった。

(この記事は、1998年の優駿エッセイ賞佳作となり誌上に掲載された後、編集部の許可を得てネット上にて公開していたものです)

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