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究極の恐怖体験3。

久しぶりの投稿になります。
これまで、私の人生における恐怖体験を第2位までご紹介させていただきました。
本日は第3位の恐怖体験について語らせていただきます。

実は、私は転職を1回経験しております。大学を卒業して1度目に入社した会社は、いわゆる中小企業で、よく言えばアットホーム、悪く言えばリスク管理が欠如した会社でした。入社の際は「海外研修がある!」「超豪華な寮
完備で好待遇!」「残業は一切ありません!」」など魅力的な謳い文句で、入社できた際は、なんて自分はラッキーなんだ!と思ったものですが、蓋を開けてみると、ブ〇ックな案件のオンパレードでした。

海外研修・・・え?どこに???日本でのスーパーハードな研修はありまし   たが・・
超豪華な寮完備・・・会社の上に空き部屋があり、そこに日本語が通じない中国の方と共同生活(ゴ〇ブリとの遭遇ほぼ毎日!)
残業は無し!!・・・そもそも残業しなければ、自分の首がしまっていく!

そして、入社1年目に本社役員の方が、ある不正で警察に逮捕され、いよいよ、これは大丈夫か?と疑問がわき始めました。
ただし、やたらと横のつながりが親密で、仲間意識が強く、それなりに楽しい日々ではあったので、気が付けば転職するまでに3年の期間を要していました

今でこそ、転職というのは割と気軽な印象がありますが、当時は一大イベントで、家族からも友達からも連日のように、心配をして連絡がありました。
自分自身も、「もう失敗できない!」という強い思いもあり、連日ネットで「より良い」、そして「自分にあった」職場の模索が続きました。

そして、今の会社に巡り合いました。今現在勤めている会社も、最初はそれなりに苦労しました。前の会社はアットホームな職場で、何でも気兼ねなく発言できましたが、今度の会社は大手で、朝の朝礼から常に緊張感が走っており、しかも当時26歳とは言え、何もわからない新入社員です。日々、怒られることが日課になっていました。

入社から1年たって、「もしかしたら転職自体が失敗だったかも?」と後悔し始めたころ、先輩から「そろそろ、お前も責任のある仕事をやってみるか?」とのご提案をいただきました。うれしくて涙したのを覚えています。
私は田舎から関西に出てきており、家族に気軽に相談できる環境ではなく、友達もそれぞれ、役職がつきはじめて給料が上がりだし、連絡しづらくて疎遠になりだした頃でした。あまりに上手く行かず、田舎に帰ろうかと思っていた矢先のことなので、うれしさのあまりオーバーではなく帰りの車でしばらく動けなくなりました。

当時通っていた職場は、住んでいたアパートから15kmくらいの距離がありました。車通勤が許可されており、通勤ラッシュや人混みが苦手な私は車での通勤を選択していました。
ひとしきり、喜びに浸って、そろそろ帰宅しようかと考えていたところ、急にお腹がグーーーッ!!と鳴りました。まだまだ新人の安月給だったため、食事はもっぱら、スーパーの総菜で生活していましたが、今日ばかりは奮発しようとファミレスによって帰ることにしました(当時の私にとっては、これでも相当な贅沢でした)

ハンバーグ定食に舌鼓をうち、明日も仕事が早いので、早々に車に乗り込みました。

すると・・・急激に睡魔が訪れます。

連日の緊張感と、やっと責任のある仕事をまかせてもらえる感動!!
そしてさきほどのハンバーグ定食の満腹感!!

これはヤバい!!!今ならば確実に、停車してひとしきり睡眠を
とってから走り出しますが、当時の若い私は、なぜか根拠のない「大丈夫!!」という自信があり、そのまま走り続けるという暴挙に出てしまいました。

なんとか、前方の車に追突しないように、ほっぺたを叩いたり、膝を
つねったりしていました。
睡魔との闘いに打ち勝ち、自宅アパートにあとこの山道のバイパスを超えればすぐ!という所にさしかかった時に、ついに睡魔に負けてしまいました!

そのバイパスはガードレールの向こうが大木を挟んでガケになっており、
外灯も薄暗く、かなり蛇行した道路でした。
通いなれた道でしたが、運転しながらつっぷしてしまった私には関係ありませんでした。途中からの記憶がありません。
気が付けば大木に正面からぶつかり、運転席も助手席もエアバックが飛び出し、フロントガラスに頭をぶつけた私は大量に血を流していました。

通りがかった、他のドライバーに助けられます。煙を吹いている車の運転席の窓ガラスから引きずり出されました。すぐに救急車で運ばれます。
人というのは気が動転すると、何をするかわからないもので、救急車を待っている間の私は、吹っ飛んだ車のバンパーを自分で探し出し、それを抱えて待っていたとのこと(自分では覚えていません)

病院についてからは、緊急手術でした。何針か縫ったと思います。舌も咬んでおり、口の中も血だらけでした。普通そういう時は、何を考えるかというのは、人によって異なると思いますが、一般的には「ちゃんと治るかな?」とか「車修理できるかな?」とかだと思います(ちなみに体は治りましたが、車は大破しており廃車になりました。)
しかし、私は「こんなケガしていたら会社で怒られる!」とか、「せっかく責任のある仕事を任されたのに!」とかでした。それぐらい職場で切羽詰まっていたのだと思います。

お医者さんは、しばらく安静にとのことでしたが、怒られたくない!という気持ちが強かった私は、次の日にすぐに出勤しました。パンパンに腫れあがった顔で出勤した私に、職場の先輩は「何でそんな顔で出勤すんねん!!」
と逆にお叱りを受けました。そして、責任のある仕事は後回し、しばらく会社を休んで、静養することになりました。

後悔の言葉を繰り返しながら、その日の帰路につきました。それからは復帰してからも車に乗るのが怖くなり(車を買うお金がなかったのもありますが)しばらくは、電車通勤であまり得意ではない満員電車を我慢することになりました。


数年してから、再び事故現場に行ってみました。すでに私が壊した箇所は修復されており、ガードレールも元通りになっていましたが、冷静に現場を確認すると、寒気がする状況でした。私の車は対向車線をはみ出して、反対側のガードレールを突き破っており、ぶつかった大木がなければ、ガケの下に転落しているところでした。
今、命があり、事故を振り返っていられるのも、大木のおかげであり、相当運がよかったと感じています。

この体験から
①車の乗車時に睡魔が来たときは、とりあえず停車して休む
(そもそも眠たいときは運転しない)
②命があれば、何でもできる。常に冷静を心がける。

事故は誰にでも起こりえることです。皆様も運転するときは、事故を想定して、くれぐれも慎重に運転しましょう!!



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