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劇場版『モノノ怪』を観て(感想・微ネタバレ注意)

はじめに

7月下旬に満を辞して公開された「モノノ怪」観てきました。
出会ってからもう10年以上になりますが、この作品のように、美術館で芸術作品を鑑賞するような気持ちで見られるアニメっていまだに見つけられません。
それくらい稀有な魅力に溢れたアニメーション作品です。

映画化に向けたクラファンが始まった時から追っていたので、やっと観られるという万感の思いを胸に抱きながら映画館に足を運びました。
途中で声優のスキャンダルがあって公開が延期になったり、いざ公開されても仕事が忙しすぎてすぐには観に行けなかったり、本当に、複合的な要因で「やっと観られた」作品です。

感想

本作を一言で言うならば、
色彩感とタッチはそのままに、随所にこれまでの各話のオマージュを散りばめつつ、大奥という華やかな舞台装置を生かしながら表現主義的なアウトプット という感じですかね。

そして「キャリア」観にも迫る部分が大きかったなと思います。
華やかな舞台(今回で言うと大奥や餅引きというイベント)が実現してるのは、裏方の清濁合わせ飲んだ犠牲があってのことだし、人は働く上でそれぞれが大切なものを忘れたり意図的に捨て去ったりしているけど、本当に大切なものまで捨ててしまうと心まで乾いてしまいモノノ怪に魅入られてしまう。。。
というメッセージが込められていると感じました。
江戸を舞台に現在にも通ずる仕事観・仕事との向き合い方が描かれていたのはかなり新鮮でしたね。

というか、確かに舞台は大奥で時代的にも江戸中期なんでしょうけど、
やってること自体は、憧れの大企業に入社した新入社員が同期と助け合いながら社会という魔窟に挑んでいくという大筋なんですよね。
だから現代人も共感できる部分、たくさんあると思います。
働く上で感じる組織の力学や、個人の能力差による仕事の出来不出来、それによる同僚との軋轢や上司からのいびり、、、等々社会の嫌なところが描かれていてすごく”リアル”を感じました。。。
大奥と聞くと、女同士の妬み嫉み みたいな大衆化されたイメージになりがちですが、生じる事象の本質は普通の組織と変わらないということがよくわかりますし、そういう”内から”の視点で大奥を描けているところに、製作陣の大奥に対する解像度の高さが見受けられます。

重要なモチーフとしての”水”

あと、全体的に「水」を起点に練られたプロットだと思います。
物語の入りは「雨」で、本作のモチーフである「唐傘」の連想としてスムーズですし、アニメ版「座敷童」のオマージュにもなっていて粋な演出。
確か「座敷童」も始まりは雨でしたね。
大奥初日に「大切なもの」を「井戸」に投げ込む儀式は、人が社会に出て働く上でそれぞれの大切なものを我慢したり、忘れたり、切り捨てたりすることを示しているように感じます。
また、大奥の女中が毎朝不味いお水を飲む儀式?が出てきますが、これは社会で働く上で清濁合わせ飲まないとやっていけないことのメタファーではないでしょうか。
そして最後、カメが旅立ったシーンでは、人はそれぞれ清濁合わせのんで働いているけど、その上で人それぞれ水の合う合わないがあるし、大奥の水が合わないならば他に行けばいい
と言う転職が一般化した現代の価値観を見た気がします。

このように、水を起点に様々な主張が垣間見れる設計となっており水が今作を取り纏める舞台装置の一つなのは言うまでもありません。

また「水」と対局をなす「乾いた」という表現もまた、この作品の持つ潤い(憂い)や大奥のジメっとした人間関係を際立たせているように思います。
私たちは、日々働く中で、つい目の前のタスクや出世にかかりきりなってしまい、ノイズとなる要素を削ぎ落としていく(=大切なものを捨て去る)作業が必要に迫られる局面もある。
それは自身が「上」へ登り見る景色が変わってくると、なお必要な通過儀礼となるし、自然にできるようになることでもある。しかし、本当に大切なもの(他者を慈しむ思いやり)まで捨ててしまうと心が乾いてしまい、結局何のために働いているのか、自分は何のためにここにいるのか わからなくなってしまう。
そんな、働く人なら誰でも一度は感じたことがあろう葛藤が主題とされていて、現代の一企業戦士である自分には耳が痛い部分もありました。笑
(そして唐傘の「乾いた」判定に引っ掛かると物理的に水分を抜かれて乾かされるのは怖いながらもちょっと面白かったです笑笑)

そんな感想と共にマーケティングの観点としてもターゲティングが練られているなとも。
「モノノ怪」がアニメで公開されていたのが20年ほど前と考えると当時アニメを鑑賞していた「モノノ怪」のファン層はすでにキャリア的に管理職層に移行していると考えるのが自然です。
そんな社会人として酸いも甘いも味わった大人層への訴求として”キャリア”や”仕事”を主題に据えるのはなかなか考えられているな、と。

逆だったかもしれねェ。。。

これは私が思ってることですが、仕事って、取り組みを通じて自分を見つめ直せる機会でもあると思うんです。
例えば、劇中でもアサがカメに暇を出しつつ、自分の決断によって水面下で心にダメージ受けている描写がありましたが、この瞬間、現実でもありませんか??
例えば、仕事ができなくて手がかかる同僚と離れることができた瞬間。
「清清した。もう面倒見なくていいんだ。やっと自分のタスクに集中できる。」と思ったら、そんなにうまくいくはずもなくどんどん精神的に追い詰められていき、
「ああ、実は助けられていたのは自分の方でもあったんだ。」と気づくなんてこと、ありませんか?
劇中でも「人は誰しも認められたり愛されたり必要とされたいという欲望がある。でもそれは相手を通じてしか満たせない欲望なのだ(ニュアンス)」みたいな一節がありましたが、まさにそれですよね。
人から必要とされたり求められることって案外、自分の力になるし存在意義に直結するところがあると思うんです。
だから、アサとカメの関係も、アサ側からの一方的なギブに見えて、カメの存在を通してアサが自分の存在意義を確かめていたところもあると思います。
後半でアサとカメが入れ替わる「逆だったかもしれねェ。。。」シーンは、そんなところを表現しているのではないかと思ったり。

芸術として

長々と感想を語ってきましたが、最後に少し美術面のお話も。
今作は、これまでの色彩感はそのままに浮世絵や仏教画の趣も感じられて面白かったですね。
各シーンで出てくる襖絵がどれも素敵で、ストーリーそっちのけで何度も思わずガン見してしまいそうになりました。
あと鎌倉感ある力強い絵柄の装飾もありましたね。
反対に「海坊主」のクリムトみたいな西洋的なものはあんまりなかった印象です。
大奥として装飾を取り纏めるために和風のもので固められていたように思います。全体通して一番近かったのはやはり「座敷童」と「のっぺらぼう」かな。
「座敷童」の美術を「のっぺらぼう」的な表現主義でまとめたって感じがする。
ただ人物の作り込み方は「化け猫」的に結構厚みがある。本当に集大成って感じ。
美術的に鑑賞を楽しめるのも「モノノ怪」の一つの魅力ですよね。

総括

普段映像系はネトフリで済ますことが多いのですが、今回は作品に対しての期待値が高かったので、本格的な音響と画質で楽しみたいと思い映画館に足を運びました。
行って大正解です。
多分2〜3回は追加で見にいくと思います。
完成度高すぎた。
あんまり触れなかったけど声優さんも全員良かった。最初こそ薬売りの声に違和感あったけど中盤以降は慣れてあんまり気にならなくなったし。
本当最高。観にいけて良かった。
次回作は「火鼠」?だっけ?(最後ちょっと出てきただけだから記憶が定かではない)も本当楽しみ。
最後意味深にずっと映されてた地下の聖堂的な場所がキーになるのかな。薬売りも不完全燃焼的なこと言ってましたし。
てか、聖堂的なところにしめ縄が三つあって、今作で一本切れたと考えると三部作のような気がする。。。。
何にせよ、早く次みたい!
でも次回作を万全の状態で公開してもらうためには今作で興行収入上げなきゃ。。。。
と思い至り、少しでも宣伝になればと思ったことがこのnoteの執筆動機です。

皆「モノノ怪」を観にいきましょう。もう観た人は追加で観にいきましょう。
私はあと二回はいくつもりです。
それでは。

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