八咫鎌鼬って誰だよ死ねって思ったら読むnote
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
推しが離婚した。
2023年末に結婚報告をしていたとき、なんだか照れくさいのか居心地が悪そうにしていたのを覚えている。
離婚報告の記事の中で、撤退と再起ばかりが上手みたいだと言っていた。
思えばきちんと自分は何者かを示した試しがない。
Twitter(現X)のプロフにはくだらない冗談しか書かなかったし、自分について積極的に話すことは稀な方だと思う。自分が興味を持たれるなんて思ってもみなかった。SNSだってそのとき思ったことを書きなぐることばかり。
ケータイショップの店員を辞める時も、「あなた自身の事を話していることをあまり聞かない。実はどんな人か興味があった」と言われた時はなんて答えればいいのかわからなかった。その時自分はどんな顔をしていただろうか。
よって、こうして筆を取る。時間だけはある。
ここにあるのは自分を内側からみた視点。人は内側と外側両方から見て初めて像が結ばれる。素敵な像が結ばれると良いのだけれど。
身長170.9cm 体重108.4kg bmi37.5 無職
身長は中学を卒業してから伸びなかった。体重は年々増え続けた。ベストスコアは120kg。パンチのある見出しだと思ったけどたいして書くことはなかった
ゲームばっかりしている
FPS以外は雑食で、とくに下記シリーズのファン
・ドラクエ
ナンバリングは全部やった。いまはXがライフワークになりつつある。
・モンハン
ワールドからゴリゴリに。アイスボーンとサンブレイクのプレイ時間の合計が3600時間を超えてて自分で引いた。ワイルズが発売されればそっちがライフワークになるだろう
・ゴッドイーター
はよ3のdlcを完結さしてくれ
マイクラはJavaも統合版もできる。Modを入れまくって遊び倒した
ゲームの他に興味があること
歌うこと
自分にできることを数値化した時に、一番数字が大きいのは多分これかなと思う。世間と比べたら大したことないのは言わずもがなだけど。
母は歌うのが好きな人だ。学生の頃は吹奏楽部に所属して活動したり、ディスコで踊っていたらしい。そんな母は生活の中でもよく歌う人だったので、歌うことはとても身近だった。
自分も影響されて、よく歌っていた。風呂場では毎晩。実家は隣の家とずいぶん離れていたので、家族以外には聞こえていなかったとおもう。たぶん
酒
最初に飲んだのは学生のころ。寮は酒煙草持込禁止だったけど、同じ部屋の友人がこっそり持ち込んでいたのを一口もらったのが最初。
すぐ真っ赤になって寝てしまうことがわかったけど、味は好き。
その中でもソルクバーノが一番好き。さっぱりしていてのみやすいから。
友人に連れて行ってもらったバーで教わったものだ。これを読んだあなたも是非試してみてほしい。
タバコ
始めたのは酒と同じころだったとおもう。周りがみんな吸っててかっこよかったから。当時はよくわかっていなかったから、セブンスターやらマルボロやらいろいろ試した。メンソールが好みじゃないことはすぐに分かった。年齢確認もされなかったのでいろいろ試せた。
後にアメスピのぺリックが大好きになったけど、終売になって無限の悲しみを背負った。今はターコイズで誤魔化している。jpsが近いと聞いて試したがあまりピンと来なかった
葉巻
シガーバーにいって嗜む程度だけど、コイーバとパルタガスが好き。ウクライナがあんなんなってから輸入される量が相当減ったらしい。かなしい
ヒュミドールは欲しいけどそれ自体が高価だし、それに入れられるだけの葉巻を揃えるといい値段するし、保留。
FMラジオ
小学校高学年のころにカッコつけて聞き始めた。すぐにハマって朝起きてから登校するまで、下校してから寝るまで、家にいる間はずっと電源が入っていた。付けたまま寝て、夜中に目が覚めて偶然聞く番組が好きだった。この習慣は高専の寮に入るまで続いた。いまでも時折radikoで聞いたり車で聞いたりしている。
音楽
幼少のころの母の車やラジオを通していろんな曲を聞いたと思う。
中学入学前後でボカロにもハマった。
先日作った自己紹介替わりのプレイリスト。思春期の頃に散々聞いた曲たち。
将棋
下手の横好き。な。小学生のころに覚えた矢倉棒銀ばかり指してきたけど、雁木を覚えようと思って本だけ買った。半年前に。
ニンジャスレイヤー
トンチキこいた異様な日本解釈ばかりが目につきがちだけど、とんでもない熱量を持った作品。
この作品に登場するニンジャは大雑把にいうと超人。X-MENみたいなかんじ。
あらすじを紹介しよう。主人公であるフジキドケンジは妻子とささやかながら幸せな生活を送るサラリマンだった。だがクリスマスに家族と外食に出かけた夜、ニンジャの抗争に巻き込まれ、妻子は殺され自身も瀕死の重傷を負う。もはやこれまでと思った刹那、自身もニンジャに覚醒し、抗争に関わったすべてのニンジャへの復讐を決意し、ニンジャスレイヤーとして戦いに赴く。といったもの。
ニューロマンサーやブレードランナーに連なるサイバーパンクを下敷きに、異能バトル、ロボ、ヤクザ、サイバネ、ボーイミーツガール、種々のパロディ……などなど「男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」をこれでもかと詰め込まれている。
一番好きなのはこの話。選ばされた選択肢を選び直して、抑圧するシステムにノーを突き付ける男の話。ニンジャスレイヤーがメインの話じゃないから前後の話の繋がりは希薄。なのでこの話だけで面白がれる
やってみたかったこと
インターネットでの自己表現
歌をあげてみたかった。朗読をやってみたかった。字書きをやりたかった。どうやればいいのか皆目わからなかった。十年焦がれた。それぞれちょっとだけした。続かなかった
書いててもあんま楽しくない略歴
自分は世に言うチー牛や陰キャと呼ばれる人種である。
小学校を卒業するまでは対して問題だとは思っていなかったが。
その反動か、中学校の三年間が最も苦悶していたとおもう。母の影響で入った吹奏楽部は半年もせずに辞めた。楽器を触ったことなんてなかったし、目標に向かって努力することが初めてだった。全く上手くならなかったし、その上𠮟られるのも下手だった。見事に先輩に嫌われた。胃炎を理由に逃げるようにやめた。
自分のいた中学校は吹奏楽部の強豪校だった。部員のなかには影響力を強くもつ者もいたようだ。逃げたヤツには厳しかった。自分は鼻つまみ者にカテゴライズされたらしかった。
それから卒業までは鬱々と過ごした。人前でだけ明るく振る舞う技能はその頃身につけた。自分は死ねばいいと思っていたが、そのせいで両親に種々の手続きを強要することも許せなかった。日中楽しく過ごしたクラスメイトを憎んでいたし、人類は滅べばいいと願っていた。
一応弁明すると当時のクラスメイトとは今は楽しく酒の席を囲めている。悪いのは自分自身だ。許してほしい。
努力の仕方は未だにわからない。
高専に進学した。一度は落ちて、繰り上がりで入学させてもらった。その連絡が来た事を誰にも言わなかった。一緒に高校いけるな!って喜んでくれた友人にも伝えなかった。これまでの自分を知る人がほとんどいないところに行けるのはとてもありがたかった。
高専はオタクばかりだった。とても楽しかった。不自由なことはたくさんあったけど、それでも自由だった。中学までで恐れていた、陽キャと呼ばれるものはほとんどいなかった。人の噂ばかりして、貶めるのが楽しくて仕方ないやつもほとんどいなかった。それまで自分が陰キャ的振る舞いをしていた理由は大したものではないと知った。頭をかち割られる思いだった。自信がないからナメられるし、ナメられてるから自信がなくなる。シンプルだった。
次に困ったのは就活だった。教員との面接練習のときはハキハキ話して太鼓判を押されたくせに、本番では俯いて顔を真っ赤にしてぼそぼそ話した。持前のデカい声はさっぱり出なかった。専攻科に逃げた。
専攻科を一年でやめた。担当教員と円滑にコミュニケーションが取れなかったからだ。そうして𠮟られることが増え、適応障害にかかり、パワハラだと吹聴しながら辞めた。適応障害はほんとだ。本当に苦しかった。飯は食えなかったし、風呂に入る気力はなかったし、朝日が昇るまで眠れないことばかりだった。それまで楽しかったことは全く楽しくなくなったし、ずっと鳩尾の奥が寒かった。
今思えば、こちらから報連相を怠ったのが原因だ。わからないことを素直にわからないと言えなかった。情けない話だ。担当教員には本当に申し訳ないことをした。悪いな当時の自分。もうお前の苦しみを理解してやれない。お前にだって悪いとこはあったぜ。必死だったのはわかるけどな
それから半年ほど実家で親のスネを齧って、大手携帯会社に就職した。高齢者にスマホの使い方を教えた。三年ほど勤めて、正社員登用の話も頂いた。でもこのまま競走馬として生き続けるのはごめんだと思いやめた。
次は電気設備の点検の仕事をした。高専を出たのにそれと関係ない仕事をしていたのがコンプレックスだったから。
いま思えばくだらない見栄だった。
学生の頃躓いたことでまた躓いた。努力するのも𠮟られるのも下手くそなままだったし、報連相を十分にやらなかった。結局就職時に提示されたルートを外れて、炎天下のアスファルトの上で焼かれ、また逃げた。
そして失業手当を受け取りながら今に至る。学生の頃取得した福祉手帳のおかげで給付期間は伸びた。いよいよ過去が未来を刈り取りに来たが、まだ目を背けていられる。