23歳、初めてキャリアコーチングを受ける②
「これまでの尚成は、事あるごとに自分なりの”しっくり”を求めて、思考、言語化することを意識してきました。そうしなければ、(省略)いつしか自分の感覚が共同体の感覚に上書きされてしまいかねないからです。そんな時間をもう二度と経験したくないという思いが、尚成にしつこく思考と言語化を促していました。」 生殖記P.197 朝井リョウ
突然引用から始まってしまったが、実はコーチングの継続について問われている最中、この文章が頭によぎっていた。
このコーチングサービスの内容は、キャリアを含めたその人の人生を包括的にプランニングするというものであった。資産形成に関わるコーチングも含めて行っており、ファイナンシャルプランナーという一面も担っていた。競合会社とは異なり、小規模な会社なので個人の状態に応じて柔軟に対応できるし、マンツーマンで同じ人がサービス利用開始から転職後までサポートできるという利点もあった。
だけど、何故かしっくりこない。この理由をじっくり考えてみると、必然的にその人のいう"自己理解"に繋がった。そもそも自分はコーチングを必要としていないということに気が付いたのだ。
それまでの体験コーチングでは、言語化する練習として課題を与えられて、それに取り組んでいた。言語化する内容としては、自分の人生や昨年の振り返り、好きなことについてといった自分を知る為に必要なことである。実際にそのおかげで私は自分の現状を整理することができた。だから、課題自体は自分にとって必要なものだった。一方で、違和感もあった。その違和感の正体は、自分の性質によるコーチングという機能そのものへの抵抗感であった。