適応障害から休職する予定がなくなった件について②
休職の旨を上司に伝えるまでの間も1月分のシフトは組まれた後であったので、シフト通りの勤務時間は仕事に行っていた。同僚の方は気を遣ってか、いつも以上にフォローをしてくださっている印象を受けた。そんな有難い環境であれば、無表情でも無愛想でも仕事はできるのだと知った。普通に仕事はできている、という評価を受けたのか、次に上司と話した際には、休職はおろか日勤帯のみの勤務という話もなくなっていた。「夜勤だけはなくしてほしい」と申し出たが、「0にするのは難しい」と言われた。
正直自分でも休職するかどうか迷っていた。ある程度貯金があるとはいえ、収入がなくなることへの不安があった。また、仮に休職したとして、あの多忙な現場に戻った時にまたパニックのような症状がでないという保証もない。抑うつや不安、ADHD的特性は中学、高校、大学、そして今までずるずると継続的に自分に憑いてきた障害であり、もはや自分と一体化していて今更数か月休んだとて解決するような問題でもなかった。
また、私は先行きが見えないことや大きな環境の変化に不安を強く覚える性質がある為、休職期間中に逆に精神的な症状が悪化する可能性がある。休職中に何をどう過ごしていいかもわからないし、出勤日が近づくにつれ不安と焦燥でいっぱいいっぱいになっている自分が容易に想像できる。また、再び職場に復帰した際に、今まで慣れのおかげでなんとかできるようになっていた業務ができなくなっていたり、離れていた間に現場の状況が大きく変化している際に対応できなくなっていたりする可能性がある。現場の人手不足の状況に加え、休職が確実に自分の状態を良くするものではないという結論を得て、私は休職をするという決断をやめた。
その旨を主治医に伝えると、職場が私に沿ったフォローをしてくれており、かつ私がそのように考えているのであればそうした方がよいのではないかと賛成してくれた。
結局、劇的な変化というのはできないのだ。宇佐見りん著の「くるまの娘」のかんこのいうように、日常生活がドラマのように劇的に変わることなんてあり得ない。どんなに抑うつがあっても、不安や焦燥があっても、過眠でも無気力でもそれは私1人の現実で、それに向き合って、変化させることができるのは私しかいないのだ。
最後に、精神科医の先生に言われた印象的な問いを残しておこう。私はどこからが病的でどこからが病的でないかわからなかった。でもそのヒントになるような言葉をもらった。それは、
「自分らしく過ごせていますか?」
という問い。私はSFが好きだ。その日の朝、私は興味深いSFの夢をみて目覚めた。内容が面白すぎて起きたと同時に夢の内容をノートに書き殴った。そして、朝ご飯も食べずに、診察時間に間に合うぎりぎりの時間で家を出て興奮した状態だった。その時は間違いなく自分らしくは過ごせていた。
自分の幸福度を上げるのはそういうことの積み重ねでしかないんだと思う。「私らしさ」に嫌悪感を抱かなくなっただけでも成長だと思おう。