同棲してて振られたので続いたことのない日記をつけてみる7

1/24金曜日
最近ちゃんと寝れるようになった。
別れを告げられて7日目。人間の適応力ってすごい。

昨日元カノ話してる時に感じた喪失感はなんだったんだろうと考えてみると、私が「私はあなたの幸せだけを考えてきたけど、あなたは私の幸せを考えてくれた事はなかった」と言うと、「そう思うならそうかもしれないね」と返された。
私のこの言い方は余りにも無神経だった。でも病気の始まりから一緒にいて、元気になり、将来を真面目に考え始めた矢先に別れ話を切り出された私はそう感じてしまった。
ただこの返事で何かが抜け落ちた感覚は少しある。

絶対にそんなことないのに。元カノも2人の幸せというものを真剣に考えていたはずなのに。
完全に離れる前にこれだけはきちんと話を聞いておきたい。私の理解力が足りないせいで、圧倒的にコミュニケーション不足だったのかもしれない。

パサパサのパンを食べながら朝からこんな事を書いていたので時間がない。リビングの掛け時計は止まっていた。大急ぎで着替えようと、昨日洗濯して乾かしたシャツたちを着る。(この家では洗濯物は浴室乾燥で干している。「我が家」という言葉を軽々しく使えなくなったことに気づき虚しさに襲われた。)
シャツに袖を通すと少し湿っていたが気にせず着てしまう。好きなものを選び取っていたら心が緩む気がして、そのまま準備を進める。
時計の電池を替える時間はないので、元カノにLINEで連絡をして家を出る。
バタバタしてたから涙が出る暇はなかったです。やったね。
泣かなくなったのかって思うと寂しいです。我儘だね。

仕事の昼休み
悲しみが外に向かうパートから、内向きの自己嫌悪パートに入ったようです。

段々気持ちが落ち着いてきて客観的(?)に今までの出来事を振り返ると、ただただ申し訳ない気持ちになる。

私は出来る事は可能な限りやっていた。全部全部やっていた。その他に+αで求められてもそんなの我儘だと思ってた。
かっこよくなる。趣味に没頭する。自分の魅力を磨く。
確かにこれまでは大変な日々だったけど、本当に何もできなかったのかと今問われると即答するのは難しい。
気力も体力も全て元カノに費やしていた。今でもそれはそうだと言えるけれど、果たして怠惰ではなかったかと問われると十分に怪しい。

お芝居を勉強してからは意思表示が出来るようになったが、元来私は長いものに巻かれるような人間だった。
自分なんてわかってもらえない、好きにやったって文句を言われるだけだから、だったら何もしないで怒られないように生きていこう。そんな人間だった。

元カノと付き合い始めたのはお芝居をしている真っ最中だった。
しかしお芝居をやめ、正社員になり、私の生来の怠惰が顔を出していたのかもしれない。
そんなところに嫌気が差し、愛情が冷めていったのだろう。それで言うならば病気を経ても元カノは変わらなかった。常に強くエネルギッシュで魅力的な存在だった。

別れた事を実感し、一緒にいられない事を少しずつ受け入れ始め、自分の中のヤケクソなエネルギーが戻りつつあることを感じ、私は自分の怠惰をようやく認識することができた。

ペットの愛らしさと無垢さとひたむきさを見るたびに常々思っていた言葉がまさに当てはまる。
「人間は愚かだなぁ」

失って気づく。でも例え気づいたとして、一生懸命だった当時どうにかできたかと問われると自身はない。

ただ自分の弱さを自覚するためにも、余りにも都合のいい要求とは分かっているが、冒頭に書いた「元カノの考えていた2人の幸せ」と言うものを頑張って話してみたいと思う。

ちなみに今日は飲み会でした。飲み終わった後にまた例の友人に電話して朝まで連れ回してもらったよ。
ありがとうな。


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