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よしもとばなな デッドエンドの思い出 読書感想

デッドエンドは袋小路。1. 行きどまりになっている路地。袋道。2. 物事が行きづまって先に進めない状態。
人生には意図せずして袋小路に入ってしまうことがある。これはそんな話。

「幸せってどういう感じ?」
「漫画を読むのび太くんとドラえもん」と言うミミの当たり前であることの幸せ、「自由な感じ」と言う西山君の幸せ。
それは「自分で思うままに作り出すことだけができない」とミミは言う。でも物は考えよう。世の中にはいろんな幸せがあって、それをどう見つけるかはあなた次第、そんな事を優しいふわっとした文章で書いた話。

舞台は袋小路にあるバー、袋小路。その2階に居候するミミは、婚約者にふられ、どこにも帰れない袋小路状態。
そう思うと婚約者って何だか面白い立場。本人以外の人たちに認知してもらう、準備期間?そこには暗黙の了解の甘い空気が流れる。そしてそんな甘い時のはずが、予感していたけれど現実に向き合いたくない状況に。妹との短い会話は、ミミと妹がどんな人なのかを見事に表現している。
「きょうだいでいると、いつまでも子供のままでいられる。」心地よい関係。でもいつの間にか妹は大人になっている。

勇気を出してアパートを訪ねたら、そこには自分のことをすべて知っている同棲相手がいる。ミミは何も聞いていなかったのに。結果は「最悪なんてものではなかった。」「飴玉のように思い出を何回も味わって何とかしてきた日々が、全部終わっちゃった」

そして袋小路での居候生活。西山君はミミを「何となく自由になったような気分にさせる」人。でもただの幸せな自由人ではない。「世の中には人それぞれの数だけどん底の限界がある」。彼もミミも彼らなりのどん底を経験した。

そしていつの間にかミミは自分でも潜在的に考えていなかったはずの「お金を貸したままなの」と言う角質を西山君に打ち明ける。そのお金は色々な色になってミミの心の中をめぐる。「そうした恐ろしいほうの色彩から自分を守るためにはりめぐらされた蜂の巣のような」存在の家族や仕事や友達。そして「人間はそうやって、大勢の力を出しあってどうにかして人を殺したりしないで生きて行けるような仕組みを作りだした」
最後までミミは高梨君のことを恨んだり憎んだりしない。それは蜂の巣のような彼らのお蔭で、そこがまたミミの良いところなのだろう。

セラピーは西山君が車を取り返してきて、洗車して満タンにしてミミをドライブで紅葉の銀杏並木に連れて行く所で頂点に達する。見事な終わり方。ここでこの二人が結ばれたりしたらこの話はつまらなくなってしまう。「幸せなことをたくさん見てね、これからも」切ないけれど幸せな思い出で終わる。それが「デッドエンドの思い出」。

私にとっても誰と見たかはあやふやだけど、忘れられない幸せな光景がある。満開の夜桜、外苑の銀杏並木、広大なヒマワリ畑、咲き乱れる野花。
そしてそんな光景を思い出すとなぜかちょっと切なくなる。
6/6/2018


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