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心の居場所
たとえば、図書館の書架と書架の間。
誰もいない、学校の廊下。
カーテンの向こう。
細長く続くの、好き。
見えないようで向こうが見えるの、好き。
先日のくりすたるるさんのつぶやきから知った、乃井万さんの記事募集。
心の居場所を探し続けたわたしなら、ほんの少しばかりお役に立てるかもしれない。
稚拙な文章ではありますが、飾らない素のままのわたしの思いを綴らせていただきたい。
子どもの頃から、心の居場所を探していた
こどもの頃、友だちの輪に入れなかった。
ううん、入ってはいたんだ。
誰かに連れられ、わたしの意思と関係なく輪に入れられた。
輪の中にいるのに、時々わたしはひとりだった。
周りからは、わたしがひとりぼっちには見えていない。一緒に遊んでいる仲良しに見えたはず。
でも心はそうじゃなかった。ここはわたしの居場所じゃない。
みんな、わたしが話しかけても答えない。わたしの話を聞かない。
シカトしてるのとは違う。
本当に気づいてもらえなかった。
わたしに興味なかったみたい。
そんな時は、友だちからそっと隠れた。
私の姿が見えない、声が届かないところへ隠れた。
隠れてしまえば「見えない」は「見せてない」に変わる。
そうすると傷つかなかった。
隠れていることに気づく友達はいなかった…
この頃、わたしが拠り所にした場所。
図書館。書道教室。本そのもの。
図書館は本好きが集まり、書道教室は自分と向き合える。どこであれ本を広げれば、心は喜ぶ。
社会人になってからも心の居場所は、ない。
この頃にはわかってきた。
人との距離を適切に縮めるのが、わたしには途方もない事なんだ。
真面目すぎる、考えすぎると周りは口を揃えて言う。しかし適当になど怖くてできない。考えは起きている限り止まない。
それで多くの(たぶん多数派の)人から、なんとなーく距離を置かれる。
仕方ないね。一緒にいては、周りもわたしも疲れてしまう。
家は居場所ではなかった?
家も、傍から見ればごく普通。
ただ、わたしと母の間に見えない溝があった。
だから家も心の居場所にはならなかった。
姉がひとりいるのだけど、この姉との関係も歪んでいた。
家は生活基盤としては充分だった。
衣食住と学業をなんとか保障してくれた両親に感謝している。
しかし心の居場所にはならなかった。
家にいるより、放っておかれる学校の方がずっとマシだった。
職場も家もダメと悟り、転職し家を出た
環境を変え、今住んでいる街へ。
心機一転、家にいることが楽しくなった。
このころには心の居場所をいくつか見つけていた。主にWeb上での、趣味の合う仲間とのやりとりが、それ。
そのような仲間を複数のジャンルで持つようになった。
Web上の仲間のうち、機会があり会い始めた人達がたくさんいる。この友人たちが今の交遊範囲となっている。
Web上での仲間、友人たちとは?
小さい頃から本と音楽とモータースポーツに没頭していた。
大人になってからの居場所を求めるときに、これらはとても役立ってくれた。
音楽ならライブ会場。4輪ならサーキット。機会があればWeb上の仲間と連絡をとり、実際に会い、交流する。
Webからの友人たちは、年齢も肩書も多彩。性格も経歴も、多彩。共通する事は、好きなものが同じこと、能動的にそこへ来ていること。
そして、好きなものの為に自ら行動を起こす事。音楽好きなら、それを流すイベントを。4輪好きなら、現地へ行く。オフィシャルに応募してレースを支える。
わたしの考える、心の居場所とは
ひとに与えられたものでなく、自分で選んだ所。
…誰かに教えてもらった場所でも、そこへ行くことを自分自身で決断したならOK。
自分でそこへ行ったら、あとは焦らずにゆっくり考える。
人付き合いに怖さを感じたので、怖いと思う人間関係が無いのが良い。
付き合いを強制されない所。
リーダーを名乗るジャイアンがいない所。
ひとりひとりが、自分らしくいられる所。
ちょっとした達人が淡々と面白そうな事をしている所。
それが気になったなら、一緒にやれるような所。
そういう関係性って、たぶん年齢も性別も出身地も社会的立場すらバラバラなのが、きっとうまくいく。
年齢が近いとどうしても比べてしまう。比べると大抵おかしなことになる。
いい感じにバラバラな環境で、そこで自分の得意やスキを伸ばしていけるなら。そこで疲れを癒す事ができるなら。
そこで、何かを取り戻すことができるなら。自然と、そこに居たいとおもう。
そして、与えられたのでなく自ら選んだものに所属する。役割を得る。人に必要とされる。
これこそが心の居場所。これこそがわたしの求めていた事。
ある青年の心の居場所
この記事に載せるかどうか迷ったのだけど、やはりお知らせしたい。詳しくは書けないけれど、書ける範囲で紹介します。
わたしが長く関わる患者さんに、先天性の病気のある青年がいます。彼は病気に加え家庭環境が影響し、衝動的な面がありました。本来であれば職に就く年齢。社会的な成長を期待し、医師らの計らいで、患者会のスタッフという役割が彼に与えられました。
嬉々として会の仕事をこなす彼。衝動的な面が消え、本来の彼の笑顔が見られるようになりました。
しかし家庭環境は変えられず。穏やかな時間は続きませんでした。
数年後、疲弊した彼の家族は破局を迎えます。
愛する母の元に二度と帰れなくなりました。
彼はその時から心を閉ざし、一部身体機能すらも止めてしまったのです。
そんな彼がただひとつ、自らの意思で続けた事。
それは会のスタッフとしての仕事でした。
スタッフとして会員さんに接する時だけは、以前の彼が垣間見えるのです。
会は、彼の心の居場所になっていた。居場所があったことで、彼はギリギリのところで踏みとどまった。私はそう考えています。
さらに数年経った現在、彼の心身の状態は、徐々にですが良くなっています。
おわりに。
乃井さん、このような形で良かったでしょうか。少しでもお役に立てたならば幸いです。
志ある方の応援をする事はわたしの喜びであります。
noteでお会いできて良かった!
これからも、よろしくお願いします!
そして、今日もまたわたしの記事を読んでくれたあなたに感謝します。
わたしのnoteを気にかけてくれるあなたがいることが、今のわたしの力になっています。
あなたのいるnoteが、わたしの心の居場所です。
#185居場所
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