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どうしても親への感謝が見つからないとき

怒りや恨みを解消したのに感謝に至れないときの話

前回の記事では、親への感謝ができない背景にある怒りや恨みの感情と向き合い、それを昇華するプロセスをお伝えしました。しかし、怒りや恨みが成仏しても、「感謝」に至れないというケースもあるのではないでしょうか?

今回は、「怒りや恨みを解消したものの感謝にはまだ至っていない」と感じていた私が、本物の感謝にたどり着いた経緯をお話しします。


【感謝の前にやるべきこと:フィルターを外す】

怒りや恨みを解消した次のステップは、自分が無意識にかけている「フィルター」を外してみること。つまり、親や過去の出来事に対する思い込みを一旦手放すことです。

でもこれ、言葉にするほど簡単なことではありませんよね。私自身も、「親がやってくれたことなんて思い出せない。むしろ、やってくれなかったことのほうが山ほどある」と思っていました。

しかし、この次に大切なのは、「本当にやってもらえたこと」を冷静に振り返ることでした。


【記憶に残らない親の献身】

親から何かを「与えられた」と記憶に残るためには、以下の3つの条件が必要だと言われています。
1. 欲しいときに
2. 欲しい形で
3. 欲しい人から

この条件が揃わない場合、たとえ何かを与えられていても、それを「感謝すべき出来事」として認識しないことが多いのです。

例:記憶に残る「与えられたもの」
• クリスマスに欲しかったおもちゃを両親からもらったこと
• 寂しかったときに犬を飼わせてもらったこと

例:記憶に残らない「与えられたもの」
• いつの間にか買っておいてくれた服や靴
• 苦手な野菜が入ったお弁当
• 病気のときに病院に連れて行ってくれたこと
• 保護者会やPTAに参加してくれたこと

これらは、欲しいタイミングや形が自分の望みと一致しなかったため、感謝の対象として記憶されないことが多いのです。その代わり、「嫌だった」「恥ずかしかった」といった感情が記憶に残りやすいのです。


【親の献身を想像してみたら涙が溢れた】

感謝を感じるために私がやったことは、記憶にない「親の献身」を想像してみることでした。
• 自分が赤ちゃんだった頃、夜中に泣き叫ぶ私を抱っこしてくれたのは誰?
• 病気になったとき、慌てて病院に駆け込んでくれたのは誰?
• 食事のたびにスプーンや箸を使えるようになるまで面倒を見てくれたのは誰?
• 危険から守るために四六時中目を離さず見守ってくれたのは誰?

これらを想像したとき、涙が止まりませんでした。「記憶には残っていないけれど、自分は間違いなく与えられていた」と気づいた瞬間、感謝の感情が溢れてきたのです。


【感謝が湧き上がる仕組み】

感謝は「しなきゃ」と思ってするものではありません。それは、過去に与えられていた恵みに気づいたとき、自然と湧き上がる感情です。

感謝に至るために必要な視点
与えられたことに気づく視点を持つ
• 欠けているものではなく、既に持っているものに目を向ける

この視点を意識することで、「すでにある恵み」に気づけるようになります。


【おわりに】

感謝は、怒りや恨みの先にある深い感情です。それを無理に引き出そうとするのではなく、与えられていたものに気づこうとする視点を持つことが大切です。

欠けているものばかりに目を向けると、不足感が膨らみ、現実でも「何かが足りない」と感じやすくなります。一方、既にある恵みに目を向けると、満たされた感覚が増幅し、感謝が自然と湧き上がってきます。

感謝は、「ない」と思い込んでいた自分のフィルターを外したとき、初めて見えてくるものです。その瞬間こそ、本物の感謝が生まれると信じています。


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