
欲張ると起こること
ご飯を残したことはありますか?
恥ずかしながら私はよくあります
足りないよりも余る方がいいと思っていました
欲張りなんですよね
食いしん坊だから
お腹が空いたらいっぱい食べたい
お腹がいっぱいになれば残せばいいや と
過剰が不足を生む
全ての物質は必要なところに必要なだけ行き渡るようにできてる
大食いの人がいれば少食の人がいる
そんな分配は天に任せておけばいい
自分に必要以上のものをとってしまった時
同時に誰かのちょうどいいを奪っています
バタフライエフェクトという効果の如く
誰かの過剰な蓄えが誰かの不足を生んでいます
自分が食べもしないのに皿に取った料理は
自然のエネルギーをただ奪ったことと同じ
必要以上のものは溜め込んで持つ必要がないのです
必要以上のものは手放せと言わんばかりに
多すぎる料理は腐ります
着ないのに買いすぎた服は気を停滞させます
睡眠不足を解消しようと2日間寝溜めしようと思ってもできないし
明日食事するのがめんどくさいから2日分食べておくこともできません
宇宙ってそうなってるっぽいんだよ
欲張るとは奪うこと
自然界の流れに沿って素直に生きれば
人が生きるのに必要な食料や物資は
少量で済むはずなんです
なのに売るために大量生産したり
未来を不安がって大量に蓄えたり
見栄を張るために余計なものを身につけたりする
生きていくために必要なものではないから
捨てることになり
結果たくさんの恵みを独り占めして奪うことになる
余ったら捨てる
ここに感謝がないのです
感謝がないのは奪っていることと同じ
感謝があれば頂くという言葉になる
食べないのに家畜を殺したり
着ないのに服を買ったり
使い切ってないのに新しい化粧品を買ったり
これら余った分は「ちょうどいい」分を超過しているのです
ちなみに
10がちょうどいい人もいれば50がちょうどいい人もいますから、自分が10で足りるからといって50でちょうどいい人を見て欲張りと呼ぶのはただの失礼です
ここで問題としているのは50でちょうどいいのに60蓄えて余らせる行為のことです
奪うと奪われるのはなぜ?
宇宙の法則というものがあります
必要なところに必要なものが用意されるのです
普段から欲張って奪っていると
潜在意識が奪った罪悪感を解消しようとして
頭では望んでいなくても
奪われる現実を創り出します
さらに潜在意識は主語がわからないので
どのジャンルで贖罪するか自分でも予測不可能
一見関係ないと思えることでも
「奪った」ことに対してとにかく「奪われ」ようとするのです
マジかよ・・・って思うよね
事故で車がダメになる
自然災害で家がなくなる
子供が欲しがるおもちゃを買ったのに遊ばない
使い道も明確じゃないのにお金を要求される
ご飯を用意したのに飲みに行くからいらないと言われたりとかね
欲張らないってどうすればいいの?
絶対やっちゃいけないのは
欲張らないように形だけ「頑張る」こと
腑に落ちていないのに行動だけするとただのストレスになり自分への嘘にもなり二次災害が起こるし
頑張るというのは無理をすることなので頑張った自分を癒そうとリバウンドします
ただただ視点を変えてみて
この下の文が腑に落ちればオッケーです
楽勝です 努力しないでください
必要なぶんだけ家畜を殺し
命に感謝して自分の血肉に変える
必要なぶんだけ木を切り
素材に感謝して家を建てる
このような自然な循環があってこそ
困ったときにポンと助けが入るようになるようです
足りないことにはちゃんと補うエネルギーが回ってきます
左脳でごちゃごちゃ計画したり
運命に抗ってジタバタしたりするのではなく
力を抜いて天に任せておけばおっけー
ちょうどいい を把握して
自分だけの力じゃ作れないことにありがたみを感じる
奪ってばかりいれば
感謝がないからピンチのときに助けは入りません
ひどい時にはピンチなのにさらに奪われる
この打撃が大きいほど
それまでの自分が傲慢だったことを知る
見えていなかった世界のありがたみが輝いて見える
こういう形で感謝にたどり着く人も少なくないでしょう
私みたいに。。。
必要なぶんを求め
感謝して吸収し還元する
こうなれば「ピンチ」そのものが怖くなくなります
不測の事態が怖くなければ人生をもっと楽しめます
欲しい時にお金が入り
欲しい時に人が現れ
欲しい時に食べたいものが手に入る
こんな魔法のような話が
本当にあると私は思います
頑張らないで
ちょうどいいだけとって
あとは余ってるからみんなで食べてね
って周りに与えていれば
自己犠牲からの無理なわけ与えもしなくていい
与える理由が愛の動機だから純粋な感謝が返ってきますよ
楽に生きてちょうどよかったんだよね