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『仕方ないこと』について(初投稿)

初めまして、太陽侍です。
ふと思い立って今日からnoteを始めることにしました。
テーマも何も考えておりませんが、言葉や感情、不思議に感じたことなどを綴っていけたらなと思います。


最初の投稿は『仕方ないこと』について。

『仕方ない』とは一体何なんだろう。
色んな『仕方ない』がこの世の中にはある。大なり小なりそこには我慢が伴い、受け入れられることもあれば、ずっと付きまとうものもある。

例えばランチに行ったとき、食べたかったものが食材不足で注文できなかったとする。
何も考えず足を運び、「これでいいか」と選んだとしたら「まぁ、仕方ないか」で大概終わる。
事前に調べてこれが食べたい! と思って行ったとしても残念に思いながらも他の品を楽しもうとするだろう。

辛いことがあったとする。お気に入りのお店、お気に入りのメニュー、きっとこれを食べたら頑張れる気がする! と願掛けで行った場合はどうだろう。運の悪さやタイミング、自分の心の余裕がないことから落胆する。大袈裟かもしれないが、どうして……とタイミングを呪ってしまうかもしれない。

上記三つの例で『仕方ない』はどれも発生している。
時と場合によってこんなにも違う。共通しているのは、誰も悪くないために思う他ないということ。

仕方ないとは、誰も悪くないけれど、いや、例え誰かが悪かったとしてもどうしようもなく、責めることができない状況下のときに気持ちを落ち着けるため使う『呪いの言葉』だとわたしは思う。

世の中には『仕方ないこと』がたくさんある。
その仕方ないことをいかに流せるか、気持ちを他に向けるかが重要になってくる。
わたし自身、今まさに過去一番の『仕方ない』の波に襲われている。
かつてない複雑で大きな『仕方ない』から、無数の『仕方ない』が生まれ、流すことが難しくなっている。そもそも、流しても解決するものではなく、人生に関わっている。
それを人に話したところで解決しないものは自分で呑み込むことしかできない。深みにハマっていることは理解しているが、『仕方ない』は『我慢』なのだ。

『仕方ない』を乗り越えるために必要なのは前向きな気持ちであり、楽しいことをする、リフレッシュなどさまざまな方法で人はもがく。
これを読んでくださっている方も何かしらの『仕方ない』に直面したことがあると思う。生きていれば必ずぶち当たる。

ただ、冷静になって考えてみると、自分の行動が『仕方ない』に繋がっている。直接的ではなくとも、どこかしら自分が選んでしまっている。話は戻るが、ランチのお店を選んだのも自分、そのメニューに決めたのも自分。大げさに言えば、食べることに楽しみを見出したことによる失敗。

結果論だからこそ言えることだが、候補をもっと上げておくべきだったり、対策が足りなかった。ランチでここまで考えると疲れてしまうので、あくまで例えの話として読んでほしい。

人間だから常に確実で正しい行動ができるわけではない。悩んで出した答えが間違っていることだってある。ランチだっておなかが減っていたからそこまで深く考えられなかったのかもしれない。だとしたら、これも『仕方ない』だ。

『仕方ない』は呪いの言葉であると同時に自分に言い聞かせる、許すための魔法の言葉でもあるように思う。

物事には常に相反するものがセットで、絶妙なバランスで存在している。それに気づく、気づかないで出来事ひとつ大きく変わってくる。

その『仕方ない』は本当にそれだけだった?
物は考えよう、かもしれない。


ここまで読んでくださった方がもし居たとしたら、ありがとうございます。
そんなあなたにいいことがありますように。


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