やらされ感が蔓延する社会
(※最後に結論だけ書いた)
どんなに楽しいことや、どんなに自分の好きなことでも、誰かにやれと命令されれば途端にやる気が失せる。こんなセリフをよく聞くでしょ?
母「さっさと宿題やりなさい!」
子「今やろうとしてんじゃん!」
子供がせっかくモチベーションが湧いてきて宿題をやろうと決意した(実際にやるかは別として)のに、その瞬間母親にどやされてまたやる気を失うシーンだ。
まぁ宿題自体やらされるものだから良い例ではないけど、とにかく子供は自分の意思でやろうとしてたことが、
命令された途端「やらされ感」が発生してやりたくなくなった。
もう一つ例を出す。僕の例だ。僕はバイトをしてる間、他人の指示を聞いて行動することが多い。
勤務年数が他の人より短いからそれは全然仕方のないことなんだけど、やっぱりどうしても命令をされるだけの業務にはウンザリしていた。
だからちょっとでも自主的に働きたくて、どうしたらもっとお客さんに見てもらえるかとか、ここをこうすれば売上が伸びるんじゃないかなと思考を巡らせた。
そして行動に移そうとすると先輩方に声をかけられて「ちょっとこれやってくれる?」と同じような事をお願いされる。
おい!それじゃあ自主的に動いたことにならないんだよ!そんなこと命令されなくても分かってるよ!
と悔しい気持ちを心の中で叫ぶ。「今やろうとしてました」なんて返事をするわけにもいかやいからね。
しょっちゅうではないけどたまにあるんだこういうことが。仕方ないことだから先輩方は全然悪くない。
でもこんな感じで「やらされ感」ってのは仕事も趣味もその両方に対してのモチベーションを奪う。
百歩譲って仕事で「やらされ感」を感じるのはまだ仕方ないと思える。
でも大好きなはずの趣味で「やらされ感」を抱くようになってしまっては少し寂しい。
趣味を仕事にするなと主張する人達の根拠はこういうところもあるのだろう。
確かに一理ある。念願叶ってカフェを開いても客層が悪ければそりゃ仕事が嫌になる。まぁ客層悪いカフェなんて見たことないけど。
できれば趣味も仕事も「やらされ感」なかやり続けられれば1番良いよね。僕はそう思う。
僕はバイトと習い事をやっているけど、習い事の方では「やらされ感」は全く感じない。2つの間にどんな違いがあるのかを考えてみた。それがこれ。
・友達とやる
・決まった日数やらなくてもいい
・いつでもサボれる状況にいる
・自分のアイデアが通る
・他人に指示されない(自分の役に立つ指示ならOK)
・目標を自分で定めてやる
・それをやることで自分や社会にどんな良い影響があるかを考える
と、こんな感じだった。もちろん全てを満たすのは無理だと思う。特に仕事やバイトではね。
でも少しの工夫で仕事もモチベーションがあがるから試してみて。「やらされ感」がかなり減るはず。
思えば子供の頃からやらされてばっか
子供の頃なんて親や先生から命令されてばっかりだよね。でも今はそのことについて言いたい訳じゃない。
この国の教育システムのこと。大丈夫、難しい話はしないから。
僕に難しい話なんて出来ない。他の国がどうかは知らないけど、日本の学校ってのはどう考えても子供の個性を潰す場所としか思えない。
というかそうなんだろうけど。小学校の頃から5教科教わる。その中でどれが得意でどれが苦手かなんて人それぞれ。
僕は体育が得意で大好きだった。でも先生は僕の運動能力や体育の成績を見て褒める前にこう言う、「理科と社会の点数低いからもうちょっと頑張ろうね」って。
このセリフが日本の教育の全てを物語っていると思う。長所は伸ばさず短所や欠点を克服するような教育。
1つがずば抜けて成績が良い事よりも、全てが平均であることをよしとする。
小学生の頃から僕達は得意で大好きな事よりも苦手でつまらない事に時間を割いて頑張ってきた。
何の疑問も抱かずにね。とっっっても皮肉な話だ。人生は短いっていうのに。
そんなことを考えながら小学生生活を送ってきた。ごめん嘘、小学生の頃は何も考えてなかったわ。
今はそう思う。こうも思うよ、苦手な事に使っていた時間を得意な事に使えていたら?とね。
もう少し日本人も明るい顔して生きてたんじゃないかなぁと希望的観測を抱くわけですよ。
埋もれている才能も発掘してあげられるでしょ?まぁそれはもしもの話だからね。
この国に生まれたからには少なからずやりたくない事をやらなきゃいけない。
抗えない部分もある。それは認める。けれども認めたうえで、じゃあどうすればつまらない時間をちょっとでも楽しく過ごせるかとか、
好きな事に当てる時間を増やすには◯◯をやめようかとか、そういうのを考える努力はするべきかなと思う。
もちろんしなくても大丈夫。でも考えなしに大人が言う、「仕事はつまらないのが普通」とか「人生ってそんなもんだよ」っていうセリフに耳を貸すのはやめよう。
自分の人生に期待しない事は良い事だけど、ちょっとの努力で楽しめるのならやってみてもいいはずでしょ。
何も人生好きなことだけして生きろとか、人生絶対楽しめって言ってるわけじゃない。
苦手な事に割いていた力と時間の5%くらいを使って楽しむ時間や得意な事をする時間を増やす工夫をしてもいんじゃないという提案。
2%だっていい。魚が猿に「お前木に登れないのwwwヤバwww」ってバカにされてる所を見た事がある?ないよね。
苦手で嫌いな事が出来なくても全く問題はないからね。
問題なのは得意で好きな事が出来ない事。魚が泳げなかったらヤバいし、猿が木に登れなかったらヤバい。
つまりそういうこと。動物見習お。
(結局何が言いたかったかというと、自分なりにやらされ感をなくす工夫をしてみようということ)