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文化財マップを日々のウォーキングコースに取り入れて脱マンネリ化をはかってみよう。

自分が住んでいる町に多くの遺跡があるとは聞いていましたが、
ごたぶんにもれず興味を持ちませんでした。
歴史博物館で説明を聞いた後、にわかに古代に興味を持ち始めました。
私たちが何気なく歩いている道、毎日見ている空き地、この下に古代の人々が生活していた痕跡があるとは考えてもみませんでした。
まぼろしの(実はすぐに手に入らなかったので)文化財マップを手に入れ、
歩きやすそうなところからウォーキングコースに取り入れてみることにしました。

まずは楽勝なコースを選んで

実はすでにリタイアしていた人はあそこも行ったよ、
ここも行ったよという人が多いです。
よほど歴史が大好きという人以外には、
そのような話は漏れてこないみたいです。
そういうわけで、ほとんど何の知識もなく文化財マップを手にウォーキングを始めました。
楽勝とは、交通の便が良く自分の足の実力からして10000歩前後を目安に、
一回で回れない場合は何回かに分ける、としました。
できるだけ写真を撮ってどのような文化財なのか簡単にでも理解する、
という課題を設けました。

天平の甍(いらか)・その光と影コース

いまから千二百五十年(1250年)くらい前の天平時代に、
仏教で世の中の平和と繁栄を願う目的で建てられたという国分寺。
上総国分寺跡と上総国分尼寺跡を中心にめぐって、しばし古代の雰囲気に浸りました。

上総国分尼寺跡展示館で30分ほどの映像と模型による説明を受けました。
最後に野外を見渡せるすてきな仕掛けがありましたよ。
それから外に出て復元された回廊と中門を見学しました。

中で映像を見て理解を深めることができます。
復元された中門

全国でも国分尼寺としては最大規模の広さを持つのだとか。全体の建物の配置などもかなり分かって来ているみたいです。その頃の女性や尼さんの生活が知りたいですね。

丁寧に復元された回廊の朱色が美しかった。

草原に、「鐘楼跡」「講堂跡」「経楼跡」「尼坊跡」など位置を示す案内があり想像力も広がります。
日差しが強い日でしたが風が心地よく心は古代に飛んだ気分でした。
上総国分寺跡
国分尼寺跡展示館から徒歩で20分ほどのところに
上総国分寺跡がありました。
西門跡から入り歩いていくと右手に七重塔の心礎、
I'Museumの標柱と案内板があります。
左手には後世に建てられた仁王門、薬師堂。

右手に進むと七重塔跡。左手には仁王門が見えます。
江戸時代中頃に建てられたという仁王門
江戸時代中頃に建てられたという薬師堂。横から撮影しました。
ここに市役所第2庁舎より高い七重の塔が建てられていた。


案内板があるので広い敷地でも分かりやすいです。

・祇園原貝塚跡
上総国分尼寺跡展示館近くの国分寺中央公園内にあるI'Museumの標柱と案内板。
もう10年以上公園内に行くことはありませんでした。いつの間に案内板ができたのでしょう。

「祇園原貝塚・瓦窯跡」I'Museumの標柱と案内が建っています。

縄文時代後期初頭(4500年前くらい)から晩期初頭(3300年前くらい)の集落の跡だそうです。人骨や土器片や大型建物跡など見つかっているとの事。
国分尼寺よりずっと古い時代の遺跡なんですね。
・祇園原瓦窯跡
上総国分尼寺の補修瓦を焼いた窯跡。

・神門五号墳(ごうどごごうふん)

フェンスに囲まれた小高い所が古墳跡でした。
ぐるりと回ると「国分寺台神門公園」。きれいに手入れされていました。

・南田瓦窯跡

上総国分寺の補修用の瓦を焼いた窯跡は
住宅街の一区画にあるので案内板がないと分かりません。

まとめ
こんなに先人たちがいろいろ記録を残してくれていたのですね。
それぞれ道案内もあり分かりやすく行けました。
国分寺跡、国分尼寺跡資料館は駐車場もあるので、歩かなくても安心して
行くことができます。

遺跡が見つかったらその後どうなるのかとずっと疑問に思っていました。
開発などで遺跡が見つかった場合は法律で調査が義務付けられているらしいです。その後その遺跡の上に建物が建つということでしょうか。


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