高橋記-①処罰の理由-
中世、北部九州擾乱の原因を作った主犯「高橋鑑種」
しかし反乱に敗し、大友氏(主君)により処罰が下される。
下された内容は「長男を人質に差し出すこと」「門司城を攻略すること」であり、命は処罰をされることはなかった。
①で述べられても、難易である。
だが、大友宗麟時代を語る出来事では「耳川の戦い(高城戦)」に継ぐ事件なのだ。そんなことから、彼の処罰について「甘すぎないか?」「なぜ処罰をしなかったのか?」と疑問の意は多い。
※尚、居城「岩屋・宝満山城」の移動は処罰の内容とは別内容である。
やや混合されるが、処罰後もいっときは居る。
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1、-一度目の謀反-
2、-「一万田家」実家の助命
3、-宗麟の事件
4、-「毛利家」と「鑑種」の約束
5、-死より思い罪-
6、-「宗麟」と「別心」
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さて、ここから6つの理由と推測をあげよう
1、-一度目の謀反-
「立花鑑載」との人物は、この反乱に鑑種の継ぐ反乱者だ。
鑑載は、戸次鑑連により攻略され打ち首となり、宗麟と鑑載の首の逸話は有名である。
鑑載は打ち首となったことを考えると、より鑑種への処罰の甘さを感じるかもしれない。
しかし、鑑載はこの反乱は2度目であった。この反乱以前にも事件を起こしており大友氏よりお目付役をつけられ、監視された。
その為、反乱の際に誘いが来た時も即時に動かず、鑑種より反乱を急かされていた。
戦国時代、謀反人とは言えど(反乱の規模にもよるが)寛容な一面があり、
これから1度目はまだ許され、2度目はさすがに許されなかったと推測でき、鑑種はまだこの部類にいたので許されたのかもしれない。
2、-「一万田家」実家の助命
「一万田家」とは鑑種の出身・実家である。
鑑種の処遇を定める際「一万田家(鑑実)」は「命だけは旧好の人なので助けて欲しい」との助命を宗麟に求めた。
謀反は決して許される行為ではなかったが、一万田家は親族に裏切り者を出したくなかったのだろう。
これにより、重臣らから批判を受ける中、命だけは助かった。
3、-宗麟の事件
宗麟と言えば、好色家として有名である。
鑑種の謀反の原因は一説に、宗麟が兄妻を強引に妻とした事、これに激怒し行為におよんだ。
これは、複数の意見があり、宗麟の有無は不明
「兄の死と反乱まで長い年月」「兄の長男の大友へな忠節な行い」
なので、確証はできないが、↑で一万田家の申し出が聞き入れられ、この事件が実在したのであれば一万田家へ借りを返す行為ではないかとも考えられる。
4、-「毛利家」と「鑑種」の約束
反乱時「大友と毛利の同盟」に危機を抱き鑑種は「毛利元就・小早川隆景・吉川元春・毛利輝元」に「命の約束」の起諾文を約束していた。
結果、反乱後は毛利家は撤退してしまい。約束は破られてしまったのだが、それでも鑑種の命は大友家だけでなく毛利家も関与して居る。
一概に大友家だけで決定できるものでなかったのかもしれない
そのことから、後「岩屋・宝満山」を追われた鑑種は旧毛利家領土「小倉城」に移動している。
5、-死より思い罪-
鑑種は毛利家から反乱前より、重宝されている。
反乱時も、毛利氏から人員・兵糧の応援をえて助けられていた。
大友氏は、処罰する事↑より「鑑種を利用する」かつ「毛利家への報復」を命じる方がいい策ではないのか。
そのようなことから「門司城合戦」が開始される。
門司城合戦は以前より毛利・大友が争い。結果大友は敗した戦いの一つである。反乱後に大友氏が支配をしていたのだが、立花城と同様に毛利氏は完全撤退はしていなかった。
なので、大友軍と高橋鑑種軍は、門司城を幾度と攻め込んでいる。
門司城番の「内藤隆春」は彼らに攻め込まれ、毛利輝元より注意勧告を受けている
門司城と鑑種については、輝元と家臣間での手紙に記されている。
これにより、攻略は成功し、大友家の門司城支配を正当にさせた。
毛利氏からしたら、多少の譲歩はあったとも推測できるが、反乱時に人員や兵糧の応援をした仕打ちがこの結果となり大友氏の思惑は形上では成功した。
しかし、耳川の戦い後に鑑種は大友氏を裏切る行為に及ぶので資料では門司城での行いは「せざる得ない」ものだったとされる。
6、-「宗麟」と「別心」
乱後、主君宗麟はキリスト教に没頭し家族仲・国をも傾けてしまう。
史実的信仰は晩年に印象強いのだが、宗麟は青年の時よりキリスト教・西洋文化に精通する逸話は複数残り
さらに、宗麟は人の死、戦国の世に疑問を抱く逸話さえも残している。
そのことから、鑑種の死罪に関しても別心が合ったのかもしれない。
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↑をまとめると
当初は鑑種へ処罰を進めていた。宗麟・重臣らだったが、一万田家の助命と毛利家への報復を試みたと推測する。
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門司城攻の際には小倉城入りをしていたそう
この件はまた。違う機会に触れる
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要>立花鑑載/岩屋・宝満山城/大友氏/毛利氏/高橋鑑種/一万田家/一万田事件/一万田親実/一万田鑑実/門司合戦/内藤氏/吉川氏/小早川氏/耳川の戦い
※詳細は後、文章でまとめことにする。