コンフォートゾーンを超えてゆく。コミュニティを支える空間は「永遠のベータ版」であるべき。
東京・目黒にある「Impact HUB Tokyo(インパクトハブトーキョー)」は、起業家、アーティスト、エンジニアやNPOなど、多様な人たちが集う起業家のコミュニティです。
そこでメンバーたちに伴走するのがコミュニティ・ビルダー。
「ここで出会った起業家はみな、自身の信念にもとづいて社会に対して行動を起こし続けている人たちです。そういう人たちのサポートをしていけるのがコミュニティ・ビルダーの仕事なんです。」
そう語るのは コミュニティ・ビルダー兼コミュニティ・デザインを担当する真美さん。
大学ではグラフィックデザインを学び、イギリスに留学。帰国後は、家具ブランドのセールススタッフやインテリア照明の日本市場開拓などに関わり、そしてたどり着いたImpact HUB Tokyo。
ここでは2000平米ものイノベーション拠点の空間づくりにも携わることに。
彼女を動かす原動力とはなんなのでしょうか?今回のインタビューでは、真美さんのWHYに迫りました。
高橋 真美
Community Builder, Communication Design
2018年より、起業家同士が切磋琢磨するコミュニティをイベント企画および空間設計の観点で支えている。食の起業家、アーティストによるギャラリープログラムなど、コミュニティに出入りする内外の起業家の活動促進のため奔走する。また目黒の商人やクリエイターとのコラボレーションなど、地域カルチャーの導入も試みている。
日本大学藝術学部デザイン学科コミュニケーションデザインコース修了後英国留学を経て、照明ブランドの日本事業設立に従事。東京生まれ、両親の故郷である群馬と東京を行き来しながら多拠点生活のあり方を模索中。
根底にあるのはフィロソフィーや想いをもつ人のサポートをしたいという想い
イギリスでの語学留学からの帰国後はロンドンで設立された照明ブランドの日本進出をサポートしていました。
この照明というのは掃除機のブランドとして知られる、Dysonの創始者であるJames Dysonの息子、Jake Dysonが手掛けたプロダクト。
(写真左:当時の開発ディレクターと共に)
「私がこの仕事をしたい、と感じた瞬間は、ローンチイベントで来日していたJakeと話した時です。
『以前から僕は、巷に大量生産によって出回るクオリティの低いLEDを使った照明がとても多いことに胸を痛めている。
本来光というものは人間生活にとって凄く重要で、人口の光、つまり照明の取り入れ方によって心身のコンディションも向上するし、なにより空間づくりも楽しくなる。
質の良い光を取り入れることで、人々の生活がもっと良くなることを伝えていきたいんだ。』
ほんの2,3分だったと思いますが、衝撃が走りました。単純にデザイン性が高いプロダクトを作りたい、ということではなく、全ての活動の根幹にあるJake本人のフィロソフィーを聞くことが出来た瞬間でした。」
思いやフィロソフィーに人は共感します。想いがこもったものを買いたい、私もそう思います。
「時代を超えて受け継がれるもの、というのは、作り手の哲学や仕事に感銘を受け、後世に残すべくそれを伝える人たちがいたからだと思うんです。私は大学時代からずっと、そういう活動に携わりたいと思ってました。
実際この仕事は卒業してからだいぶ経っていましたが、ようやく腹の底から湧き上がる何か、を感じられた仕事でした。非常に多くを学びました。デモ機を抱えて、全国のインテリアショップに魅力を伝えに行ったり、巡業していましたね。」
「起業家の支援をするという意味でいうと、Dysonにいるときはそういう見方をしていなかったのですが、実はHUBの仕事にも当てはまっている部分があります。
はじめてHUBのことを知り、当時ここで働くコミュニティ・ビルダーのインタビュー記事を読んで、ああ、Jakeのような人たちがいっぱいいるところなんだな、と。そこからこの仕事に興味を持ちました。
でも正直、彼らの事業の加速を支援するやり方についてはまったく未知で、かなり難しそうな職種だと思っていました。」
‘コミュニティ・ビルダーは、庭師のようなもの。お水をあげすぎてもだめだし、枯らしてもいけない。’
求人記事に載っていたその言葉に真美さんは興味を持ちます。決まったものではなく、自分で作っていく、今まで聞いていたことがない仕事。
コンフォートゾーンを超えていく
「ここでの仕事は、評価基準のようなものが明確に定められていません。たとえば営業職だと、1ヶ月にこのくらいの台数を売るなどノルマがあって、それによって評価が変わってきますが、数字がそのまま良し悪しの判断材料にされることはほとんどなく、自分は何をやり遂げるべきなのかを自分で作っていかなくてはいけないんですよね。
メンバーさんに問い続けるのと同じように自分にも常にWHYを問い続けて、目指していくことを決めなくてはいけない。自由の裏返しとして自分自身のWHYへの責任、問い続ける責任が問われる仕事であり、働きはじめた頃はなかなか大変でした。」
言われたことをやる仕事は、ある意味簡単で楽なことです。自分にWHYを問い続けること。何も考えずに日々を送っているだけではできないと思います。
最初は試練に感じ、チームや代表の二人ともぶつかったそう。けれどもそこで自分の弱い部分にも気づくきっかけに。
「日本には 旧態依然とした企業だと、ともすれば精神論が優る考え方が見え隠れする職場もまだ少なくないと思います。そうではなくて、自分に対しての答えをみつけることへの飽くなき追求なんですよね。怠るといつまでたっても成長できない。
自分の成長のために目標、問いを立てていく、その意味でのコンフォートゾーンを超える、ということに気づかされました。
自分のベストコンディションを維持できれば、コンフォートゾーンを超えられるんです。超えると違う世界が見えます。それがすごくおもしろいんです。
自分が見たことがない世界をみるのはこんなにもチャレンジングなのかと思います。そうやって少しずつ超えていくことで自分が成長しているのを感じます。」
毎回目標、問いを立て、そこに向かって自分自身で進んでいく。人からの評価で自分の成長を図るのではなく、自分のコンフォートゾーンを超えることで違う世界が広がる。
これを日々経験できるのは、コミュニティ・ビルダーの醍醐味かもしれません。そこに至るまでは葛藤もあったのだと思いますが、自分で超えてきた真美さんの強さを感じました。
プロではない私がなぜ2000平米の空間づくりに携わったのか?
Impact HUB Tokyoは、「イノベーションの民主化」というスローガンと共に、社会にインパクトを生み出そうとする起業家や企業、NPO/NGOや行政などと共同で、地域でもプロジェクトを展開してきました。
その中で、2000平米もの空間を改装したイノベーション拠点のオープンにも携わり、その場所の空間デザインを担当したMamiさん。
地域の活力拠点として、元々のスペースを使いやすいワークスペース複合施設へと変身させ、地域人材を雇用しつつ、研修、育成を行いコミュニティ・ビルディングも支援。
この施設の家具選定を任された真美さん。はじめは不安しかなかったそう。
「インテリアコーディネーターのプロではない私が、多くのプロフェッショナルが集結して完成した、起業家が集う拠点に関わることになるというのを聞いた時、これまでの経験値をはるかに上回る規模の仕事に、正直かなりおののいていました。」
「そのとき代表の詩野さんに、コミュニティをずっと見ている真美でないとできない空間があると言われて、私にしかできないことがあるかもしれないと思ったのです。」
コミュニティで、人と人が繋がりをつうじて、コミュニティ、人と人の出会いをデザインしてきた真美さん。
出会うはずがなかった人たちの出会いの場を提供し、生まれていくつながり。それを間近でみてきたコミュニティ・ビルダーとして培ってきた経験が生きることに。
実際にどういう風に家具の選定をしていったのでしょうか。
「目黒のHUBと違って壁紙から建具、造作棚やカウンターなど四方八方全て新しいので、家具も新品となるとある種、人が入りにくい、人と人が交錯する"居心地いい空間"は生まれないと考えました。
そこで、目黒で長く使われていてる家具を参考にして、艶がすこし剥がれていたり、人の痕跡が少しあったりするような中古家具や、イギリスやフランスのヴィンテージ家具を選びました。会議室も部屋によって性格を変えています。
その日のモードによって入る会議室が選べるようにして、緊張度を緩めた状態になりたい時は、靴を脱ぐ部屋を作ったり、テーブルがないミーティングルームもあります。」
パブリック、セミパブリック、プライベートエリアがあって、集中するところと集中モードから解放されるところに分かれたデザインにされているのですね。
「中でも、コワーキングスペースは東西に長く、2つの要素を持たせることに決まりました。集中して作業に没頭したいゾーンが"静エリア"、反対にホワイトボードを使ってアイデア出しをしたり、数名で話し合いながらブレストをするなど、身体的アクションが伴うであろうゾーンを"動エリア"と設定。
前者には長時間同じ姿勢でも疲労することのない高性能ワークチェア、後者には持ち運びがしやすくスタッキング可能で場所も取らないチェアを選ぶなど、これから空間の主役になるメンバーの動線を想像しながら、家具選びをしていました。」
「この"動エリア"にはラグではなく人工芝〜を取り入れ、ちょっとした公園のような空間ができることで、リラックスしながらクリエイティブな話ができる場所も考えました。」
この人工芝エリアはとても好評だったようです。
グラフィックデザインを大学で勉強したとはいえ、専門家ではない自分が関わることに怖気付いていた、そのことが変わるきっかけになった思い入れのあるプロジェクト。
2000平米もの空間作りに携わったコミュニティ・ビルダーは他にいないかもしれません。
自分で目標を設定し、コンフォートゾーンを超えて見る世界の一部を垣間見た気がしました。
来る人の環境によって永遠に変化し続ける空間づくり
現在はImpact HUB Tokyoの空間づくりにも携わっている真美さん。
「HUBがオープンして7年経った今年、働く環境や生活スタイルの変化、また活動拠点を複数にもつなど、コロナ禍という現象も合間って、社会も、さらに私たちの起業家コミュニティも大きく変容してきている。
ではこれから私たちが表現していくべきことはなにか、チームで考えるフェーズになりました。その中で、私がメインに関わっているプロジェクトがPermanent Beta(空間における永遠のベータ版)です。」
ベータ版とは完成していないという意味。永遠に完成しない空間とは一体どんなものなのでしょうか。
「(私はまだその時はここにいませんでしたが)HUBが印刷工場の跡地で産声を上げた当時、ひとつのアンチテーゼがあったようで、"旧態依然とした日本のオフィスで、当たり前のように語り継がれてきたお作法的な慣習”を覆す設計にしたそうなんです。
たとえばHUB内にはコワーキングスペースの隣に『自分の考えていることを拡散する拡声器』と名付けられたイベントスペースがあったり、壁を取り払いキッチンを中心にした回遊性のあるラウンジでは、たまたま居合わせたメンバーと偶発的な会話の発生率をあげるなど、一般的ではない仕掛けを用意しました。
また、家具選びに関しても同一ブランドで揃えず、自分たちで素材の調達先を考え壁にペンキを塗ったり、空間をハックすることでHUBのヴィジョンを反映させた結果、自発的な会話やコラボレーションの発生には欠かせない”他者に対してオープンな状態”になれる、というフィードバックをもらったのです。実はそれこそが、空間が生み出す価値なのではないか、と。」
「どうしたらその空間を生み出すことが出来るのか。中心となるのがコミュニティという、常に変化する"有機体"である限り実験と挑戦をし続ける必要がある、まさに永遠のベータ版なのです。」
そこにいる人たちから発生する会話、熱量、どうクリエイティブになれるかを一番に考えられた変化し続ける空間。この意味で永遠のベータ版と名付けられているのですね。
最後に、今後の目標を教えてもらいました。
「メンバーの起業や原体験にまつわるストーリーをまとめて誌面にし、定期的に刊行する"HUBの読みもの"を作りたいと考えています。
父が写真史、また古い写真技法や保存方法について教えているのですが、最近彼がなぜこの仕事に就いたのか、というインタビュー記事を偶然見付けて。
それを読んで、まさに父がやろうとしてきたのは、日本写真史の黎明期に活躍した写真家が世に残してきた作品とその物語を、現代に伝えることなのかもしれないと。
私が今考えている、独自のクリエイティビティを世に放つ起業家の軌跡を、自分のクリエイティビティでもって形にしていくことは意外と近いんじゃないか、そんなことも最近の発見でした。
(かつて制作した、イギリス滞在時に撮りためた風景をまとめた写真集)
作ることと作り手のサポートを学んだ後、たどり着いたImpact HUB Tokyo。葛藤もありながらも、コンフォートゾーンを自分に常に問いながら、グラフィックに留まらず、コミュニティ、空間を真美さんらしくデザインしていく姿が印象的でした。
さて、今回のチームメンバーインタビューも非常に濃厚なものになりました。今までのImpact HUB TokyoのTeam Members の記事はImpact HUB Tokyoの中の人の紹介にも絶賛掲載中ですのでこちらもぜひご一読ください。
次回はどんなチームメンバーが登場するのか?乞うご期待ください!