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家に帰りたくなかったころの話

数年前、仕事で鬼ハードに疲れていた時期があった。

自分のなかでは、労働に関しては肉体的な疲労よりも精神的な重圧、不安のほうが圧倒的に心身を蝕む。
ふつうのことなのかもしれないが、40代以降は責任の範囲がひろがり、また難度の高い業務などをこなさなければならないようになり、自信をうしなったりしてキツい局面は幾度もあった。

いま現在はリモートワークになって、はや3年になるけれど、そのころは都心で勤務していた。
大体21時か22時くらいに仕事を終えて、退社するや否や、本当に "即" コンビニでストロング系チューハイを1~2本買って、駅前の喫煙スペースでグビグビと飲んだ。

僕は不便な郊外に住んでいるので、1.5~2時間近くかけて帰宅する。
同僚などと盛り場へ行ってワイワイ呑む元気などまったくなかったし、そのかわりといって変だけけれど、僕は 「通勤」 にお金をかけていた。当時の呼称で湘南ライナー、あるいは東海道線のグリーン車。一般席ではない。
品川駅構内のコンビニでもう1~2本買って、帰りの座席で飲んだ。

ちょうどいい感じに酔ってきたころ、地元駅のコンビニでもう1~2本買っていた。つまり、毎日計5~6本のストロング。(そんなの飲んだウチに入らないよ、という人もいるでしょうが)
これを、自動的に、あるいは無意識的に、いや、「そうせざるをえなくて」 毎日やっていた。

「しんどい」 を、酒を飲むことで紛らわさせていた。毒と薬は、ある場合においては区別なんてない。

そのころ、自宅 (戸建て) が見える角を曲がって家のリビングに電気が点いているのを見ると、引き返すときがあった。
そして地元駅のコンビニで買った1~2本を、近所の川原のベンチで飲んだ。

家族のためにこそ、どこまでも働ける。
しかし家族の存在は家計を支える者としてプレッシャーでもある。自分はエリートじゃないし、数年先はいつだって闇だ。努力で消えない不安というものはある。

幼い娘や息子は自分のしんどさなど当然知らないし、知られるべきではない。廃墟のような貌で、酔って、それでも空元気で帰宅するのが嫌だった。嫁よ子供よ、寝ていてくれ、と思っていた。
テレビなどの 「騒音」 を少しでも耳にするのも嫌だった。いまふと思い出したが、当時は朝晩の通勤中、静かなヒーリング電子音楽しか聴いていなかった。

コッソリと玄関を入り、すぐに自分の部屋 (僕は一人部屋がある) に行って、家族が寝静まったら歯を磨いてシャワーを浴びて寝たかった。仕事を終えてから翌朝の仕事までのあいだの時間を、酩酊と静寂と睡眠で癒したかった。

ここ3年くらいはどれだけしんどくても、あのころのような、暗黒の精神状態になることはなくなった。
状況は実はそんな変わっておらず、ハードなのは変わらないのだが、厳しい (仕事の) 山をいくつか乗り越えたことで自信がついたのかなと思っている。遠距離通勤がなくなったというのも大きいのだろう。
子供たちも大きくなり、自分の仕事の話などもできるし、遅くまで話し込むことも多い。
父親として子供を育て上げることにも終わりが見えてきて、重圧が減ったのかもしれない。

しかし今でもあの時期のことをたまに思い出す。思い出すと、胃の底から不快な唸り声のようなものが出そうになる。

ちなみに酒を毎日飲む生活は今も続いている。休日は飲まなくても平気だが平日の勤務後は飲む。

どれだけ家族とうまくいっていても、家庭が休まる場所じゃないことも時としてあるんだよ、って話でした。

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