好きだけどなんか違う
最近、多分人生で2回目くらいの恋をしている
けど、それが恋、って言える自信は全然なくて。
なんで自分はこんなによくわからないんだろう、と思った。
なんでぼくは恋をしたい、と思っているのに、恋ができなくて、なんで、好きだけどなんか違う、がずっと頭でもやもやしているんだろう、と思ってた
でも、よくわからないけど、「それ」に名前をつけなかったら悩んでても相談できないし、わかりやすさのためだけに「好きな人」という単語を用いている気がする。
友達などに「今度好きな人に会いに行くんだ~」って言ってても、どこか違和感を覚えてた。
「好きな人」って単語は便利だし、伝わりやすいから、なんとなくそれを使っている、に近い感覚。
好きだけど、世間一般の「好きな人」ではないような気がする。
とは言っても、ぼくとその人の関係も言葉にできないような、形のわからない関係性に感じるし、ぼくもその人にまず「友達」という言葉では言い表せない感情を持っていると思う。それが恋愛感情かは置いておいて。
ぼくが、恋に落ちる、落ちてる、ってわかりやすい瞬間はなくて、気がついたら、その人から返信きただけで嬉しくなってて、会えたら嬉しくて、「恋愛」のそれっぽさだけがある。恋みたいなことをしている感覚はある。
でも、そうだからと言って、その人のことを世間一般の「好きな人」の部類に入る人か、と言われたら、やっぱりなんか違う。
一個前の恋もそうで、なんとなくそう言っておけばわかりやすいだろう、みたいな感覚で「好きな人」という単語を用いて、心持ちもそんなふうに錯覚させてた。
だけど、心の深いところを開けてみたら、なんか違う、なんとも言えない感情がいっぱいだった。キスとかハグとかが欲しいわけじゃない。想像がつかない。ぼくが誰かとそうしているところが一歳浮かばない。
名前だけそれっぽくて、心の中では、「好きだけど、好きじゃない」みたいな変な感情。
これ、なんだろう、って思っていたら、
ふと、Twitterで、「デミロマンティック」という言葉に出会った。
なんか、しっくり来た。
自分が好きかも、恋かも、って思うひとはみんな、ぼくが「この先もこんなふうに縁を結んだままでいたいな」って先を願えるほど信頼している人で、そして、そのまま結んでいられるならずっとこのままでいい、って思える人。
でも、それがぼくが信頼している人みんなに起こるわけではない。
その時点でまず恋に落ちづらいような気がする。
それから、
恋、の、いわゆる、関係を変えるのが怖くて、とも違って、
友達で信頼できる人で人間として好きで素敵で、何かしらの形で一緒にいられるならそれでいい。と思っている。
でも、好きかも、恋かも、って思っても確信にはずっと変わらない。
ここにデミロマンティックみを感じていて、
この人のこういう部分が「人間的に」好きで、いいな~と思う。
会える約束ができたら、会えるんだ嬉しい、とは思う。楽しみにする。でも、波長の合う人と久々に会うのって人生の嬉しいだと思う。
恋に近い何か、ではあっても、恋愛感情じゃないような気がする。
そもそも、自分の気持ちに名前につけるのが苦手というか、単語の枠に収められていることに違和感を覚えていて、余計に、自分が「恋愛」に囚われているのが苦しく感じる。
だけど、恋愛至上主義な世の中で、ぼくも幼少期に結構の数の少女漫画を読んできて(今も読んでる)、恋愛、にそれなりに憧れは抱いていて、恋をしたい、とは思っている。恋愛を毛嫌いしている、とかではなくて。
確信に変わらないのは、憧れの、上辺だけの気持ちをなぞっているからだと思う
恋がしたいのに、好きだけどなんか違うことばっかりで、ぼく自身が「これが恋だったらいいのに」と思って、「好きな人」という単語を持ち出して自分自身も錯覚させようとしている
そうやってるうちに、なんか違う、のもやもやが大きくなってきて、この気持ちはなんだろう、と悩んでしまう
だから、デミロマンティック、を聞いた時に、これだったのか、と少しだけ安心感を覚えた。自分以外にも、似たような感情で悩んでいる人がいることがいることがわかって、自分が少しだけいびつじゃないように思った。
(単語の枠に収めるのが嫌だ、という割に、単語があることで安心もしちゃうから人間って不思議だ)
好きだけど、なんか恋愛とは違うし、これからもそうやってあんまり人に恋することなく人生を進んでいくんだと思う
恋愛はしたいし、したいがゆえにぼく自身も錯覚させてしまう時もあるのかもしれないけれど、もうちょっと素直に、「なんか違う」を受け止めてあげてもいいのかもしれない、と思えた
難しいけど、いつか心から恋に落ちれる人に出会えたらいいな、期待しすぎない程度で
あめ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?