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ランジュは鳥籠に囚われていない話、あとはんぺんと美里
(2期1話、8話、9話の記事に相当します。)
1. ランジュは鳥籠の中に居る?
1.1. Eutopia
1.1.1. 鳥籠の意味
Eutopia、EMOTION、stars we chaseのすべてに鳥籠が登場します。最初はこれらに対し、一貫した解釈を与えようとしていましたが、ランジュにとっての鳥籠と、栞子・ミアにとっての鳥籠は別物であると考えるに至りました。Eutopiaは同好会への決別を表す曲であり、EMOTIONとstars we chaseは同好会の輪に入る曲です。曲の方向性が真逆である以上、Eutopiaとそれ以外の二曲では、鳥籠が持つ意味が異なると考えるのがよさそうです。
曲の方向性は逆でありつつ、同じ鳥籠というモチーフを使っていることから、3曲の鳥籠には、共通点と相違点がそれぞれあるはずです。
鳥籠は、本来性を疎外する抑圧の象徴として用いられている点では共通しています(虹ヶ咲は「自分の色を見つけてそれを表現すること」に重きを置いているので、その逆と考えればわかりやすく、鳥籠は「自分の色を殺す場所」の表象です)。
一方で、栞子とミアは鳥籠から解放されることによって救われますが、鳥籠から解放されることはランジュにとっての救いになっていたでしょうか?
否、そうなってはいないです。むしろ、ランジュは鳥籠に入ることによって救われます。これが相違点です。順を追って解説します。
1.1.2. 水の意味
この作品のおいて水の役割は色々ありますが、今回は、支えてくれる人・応援してくれる人・友達・仲間・ライバル・ファンなどといった、ありのままの自分を受け入れてくれる存在を象徴するものとしての「水」が関係します。
(当ブログでは、海や水を「支える側の場所」と定義しています(例:OPの侑ちゃん)。)
わかりやすいように、水=友達、鳥籠=個性を殺す場所などとしておきます。
1.1.3. 以上を踏まえてMVを見る
幼少期のランジュは、鳥籠と水と金魚に囲まれており、浮かない顔をしていました。
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かつてのランジュは人間関係(=水)で困難を抱えており、自分らしく振舞うことが出来ない環境(=鳥籠)で疲弊していった様が、表情から読み取れます。
高校生になったランジュは、自信ありげに笑みを浮かべて、空っぽになった鳥籠の外に佇んでいます。
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関係の外に出ることで、トラブル自体を回避する形で人間関係の悩みを解決しました。
次のシーンではスマホを持っています。何かを見終えたところのようです。
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第1回スクールアイドルフェスティバルの動画を見ていたのだと思っています。
SIFに触発されたランジュはニジガクを目指します。
りんかい線に乗り、
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お台場(国際展示場駅)に到着します。
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上の二枚の画像は、幼少期のランジュと同様に、自信満々な笑みが消えています。同好会への接触を目前に、表情がこわばっているように見えます。
最後に、ランジュにとって同好会という場所が解釈違いだったようで、サビ前で水を捨てます(=仲間は要らない、支えられる必要はない、同好会には入らないという選択)。
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自分の居場所は孤城にしかないと、先程までの不穏な表情を振り払うかのように凛々しい表情を取り戻します。
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裸。スクールアイドル鐘嵐珠の誕生です。
1.2. 垣間見える未練
前述の通り、ランジュは水を捨てる決意をしました。
しかし、ランジュが水への未練を残している描写が何度も登場します。
ランジュのライブは必ず水の近くで行われます。
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必死に孤高な存在としての振る舞いを意識しているけれど、心の奥では水への憧れを抑えきれていないように見えます。
1.3. ランジュが救われるために
ランジュが訪日した目的は同好会に入るためでした。しかし、ランジュ以外の者にとって同好会は「自分らしくいられる場所」でしたが、ランジュにとっては「自分らしくいられない場所」でした。
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「パフォーマンスにも悪影響が出るわ」
幼少期に体験した他者との軋轢から、「自分の振る舞いで誰かを傷つけないために、集団の中では自分を殺さざるを得ない」という教訓を引き出しました。自分を受け入れてくれる居場所を見つけるのではなく、輪の外に出ればいくらでも自分らしく振る舞えるという発見によって、ランジュはランジュらしく振る舞うために、そして軋轢を産まないために、鳥籠の外に出ました。「ランジュちゃんはランジュちゃんのままで一緒にやれるはずだよ」というエマの発言を否定するのは当然ですし、自分の個性を保ちつつ集団に属している彼女たちが理解不能でした。
つまりランジュにとって同好会は、鳥籠から開放された結果として辿り着く場所ではなく、むしろランジュにとって自分らしさを疎外する鳥籠であり、忌避すべきものでした(この方向性の違いこそが相違点であり、また自分らしく振舞えないという点が栞子・ミアの鳥籠との共通点です)。ゆえに孤立の道を選び、Eutopiaへと辿り着きました。
しかし、ランジュの本懐は友達ができること。孤城に逃げ込むことは、他人と信頼関係を築けないことへの消極的な対症療法であって、積極的な根治療法ではありません。Eutopiaのサビ前でキメ顔をしていたランジュは、8話Cパートで孤高な存在としての強気な振る舞いを断念し、単なるか弱い17歳の女の子になります。孤城のQueenが折れました。
Eutopiaは理想郷ではありませんでした。
自らは鳥籠の中に入っていけない上に、孤高という権威性は剥がれ落ちていく。鳥籠にもEutopiaにも居られないランジュはどこへ行けばよいのでしょうか。
ランジュが救われる方法は、「自分を承認してくれる鳥籠に迎え入れられること」、例えば同好会に入ることです。そのためには、「ランジュが鳥籠だと思っていたものが本当は空(同好会、ステージ)だったと気付く」、「同好会はランジュらしさを受け入れてくれる場所だと理解する」ことが必要です(それを気づかせた曲がstars we chaseでした)。
1.4. まとめ
・ランジュにとって同好会が鳥籠(=自分らしく振る舞えない場所)である。
・ランジュは鳥籠の外にいる。鳥籠の中に囚われているわけではない。
・ランジュを鳥籠の中に導くことが彼女にとっての救いになる。
以上、「鳥籠の外に囚われている」という逆説でした。
2. ランジュを救うまでの流れ
2.1. ニジガク号のアクシデント
虹ヶ咲学園を隈無く走り抜けるニジガク号、みんなの思いを乗せて走っているように見えます。
ビッグサイトの形を模したニジガク号は、いわば高校に通う生徒全員を象徴する存在であり、当然ランジュもそこに含まれているべきです。
しかし、ランジュは鳥籠の外にいます。
ランジュが、虹ヶ咲学園にまたがるテーマである「多様性」の一員なら、ニジガク号は問題なくそのままゴールしていたはずです。しかし、ランジュはその輪に入れていません。もしここでニジガク号がランジュを置いてゴールすれば、ランジュという存在を否定することになり、ニジガクが標榜する多様性と矛盾するため、ニジガク号はランジュの前で停止せざるを得ません。つまりこれは、ランジュ自身がニジガク号のゴールを阻止してしまったということになります。
ニジガク号の停止は、単なるランジュへの当て付けやプレッシャーの増幅ではありません。ランジュの登場シーンを損なわせたのは、他ならぬランジュ自身のスタンスによるものでした。
2.2. はんぺんはただのマスコットではない
ニジガク号は、はんぺんのアシストによって再出発し、ゴールを迎えます。ゴール地点には虹が咲いています。
ここで、はんぺんの役割・機能について述べます。
先日屈強な考察派の友人との会話で、「ミアははんぺんと遊んでいるときだけ唯一目的を忘れることができる」ということを教えてもらいました。「はんぺんと遊ぶ」という行為についてうっすらと抱いていた印象を言語化され、非常に肚落ちしたので、これをベースに考えていくことにしました。
ミアがはんぺんと遊んでいる時間は、ミアが唯一目的から外れる時間であり、抑圧された心を解放する自由な時間です。そしてその状態こそが「楽しい」という感情の本質であり、璃奈が伝えたかったメッセージでもあります。
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すなわち、はんぺんは楽しさの化身であり、自分の素直な情動を解放したり、あるいは他人にさせたりする存在です。
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また、本心を解放したり、純粋に楽しむ気持ちを取り戻させるアイテムが、stars we chaseのMVにも登場した「鍵」です。
とすると、翻って「楽しい」存在であるはんぺんもまた、鍵の所有者ということになります。
「はんぺん」=「楽しい」=「鍵」
先の問いに戻ります。はんぺんのアシストによってゴールした理由は、「鍵によって、ランジュをニジガク号に迎え入れ、虹が完成する」という、これからの展開を暗示しているからだと思います。
2.3. 自力で入れないランジュ
EMOTIONにも stars we chaseにも鳥籠は登場しますが、キャラが鳥籠を出入りする様子が描かれているのは、Eutopiaだけです。
また、鍵が登場しないのも、Eutopiaだけです。
前述の通り、ランジュは鳥かごの外に出る選択をしました。
鳥籠から出ていく時には、鍵は必要ありません。香港に帰ったりすればいいだけです。逆に入っていく時には鍵が必要です。楽しい気持ちを取り戻し、鳥籠の中の人たちに承認されなければ輪に入ることはできないからです。このように、出ていく時と入っていく時では非対称性があります。
鍵を持たないランジュは、外に出たはいいものの、自分から入ることは出来なくなってしまった。ランジュは孤城で優雅に佇んでいるように見えて、実際は鳥籠から締め出されているのでした。
2.4. 鍵を開けた人物
よくある考察として、「栞子とミアの鍵がランジュの鳥籠を開け、ランジュは鳥籠の外に飛び立った」というものがあります。
僕は、「ミアの鍵がランジュに鳥籠を開け(=同好会への招待)、ランジュは鳥籠の中に入った」と考えています。
栞子の鍵は、栞子と薫子を繋ぐ蝶があしらわれていることから、EMOTIONは三船姉妹の間だけで完結する曲であると捉え、ランジュの鳥籠を開けてはいないように思えます。むしろランジュに先んじて同好会に入ったことで、ランジュの孤独感を増やしただけでしょう。
また、栞子は鍵を直接時計に挿しています。これは、「この鍵と時計は対応している」という証左に見えます。
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一方で、stars we chaseでは、鍵が映った後に扉が開く映像が流れるだけで、鍵を直接挿入して扉を開いたわけではありません。
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視聴者は、鍵の後に開く扉が映ることで、「この鍵で扉を開いたんだ」と推測します。しかし、鍵と扉を直接的に結びつけない、鍵の可能性を限定しない描写によって、「この鍵は他の用途にも使えるのでは」という解釈の余地が残されます。ゆえにこの鍵は、ランジュの扉を開く鍵であってもおかしくないと思えるのです。
はんぺんとの触れ合い、そして璃奈との対話によって、歌うのが楽しいという感情を取り戻したミアは、鍵の所有者になりました。
鍵は、自分の心を解き放つと共に、誰かの心も開いてあげることができます。こうしてランジュは、ようやく鳥籠の中に入ることができました。
3. 美里
ミアからランジュへと鍵が渡る流れは、元を正せば美里から全て始まっているわけなので、美里と鍵の関係についても触れておきます。
美里は長い入院生活で、楽しい気持ち(=鍵)を失っていきました。退院してもなお、美里の心は飛ぶ力を失ったまま、病室の中に閉じ込められたままでした。
しかし、過去に美里があげた鍵を、愛が持っていました。
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=楽しいという感情は人を伝って増幅されていく
=鍵も人を伝って増えていく
鍵は再び美里の元へと還ってきました。
自分がもはや鍵を持っていないことを悲しみ、鍵を持っている愛を見て、ますます自身の「空っぽ」さを突きつけられていた美里でしたが、無くしたら貰えばいいんです。美里には、一緒に楽しむことではなく、「鍵を渡してあげること」が必要でした。一緒に楽しもうとするだけでは、愛が輝くほどに、美里の心の闇を濃くするだけです。
楽しい気持ちを忘れた美里と、「楽しい」を分かち合うことはできません。
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美里のような存在に目を向け、意識的に鍵を渡すことを愛は学びました。愛は全ての人を照らすことができるようになりました。その帰結としての Eternal Lightです。
また、その様子を見ていた璃奈は、同じように、鍵を失ったミアに鍵を渡しました。自分も誰かに鍵を渡す存在になろうと思ったタイミングは、ここだったのかもしれません。
4. 最後に
鍵によって招き入れられた者が、また別の誰かを招き入れる。そうやって幸せが、楽しい気持ちが、色が広がっていく。鍵によって連なる関係、それこそが虹ヶ咲の本質だと思います。
以上、鳥籠と鍵についてのお話でした。