プラスティックゴミを減らす・・・
TVの報道番組で7月1日よりプラスティック袋の有料化という報道があった。
地球規模ではもはや遅しの感があるほど地球上のあらゆるところに、海中にもこれまで使われていたプラスティックゴミはすごい量で増えている。
人間はそれを使う前に検証をしなかったのだろうか。後々どのような害が現れどのような対応が必要となるということは考えなかったのだろうか。地球にはものがあふれ、有害化している状況は、他のどの面よりも慮しないとならないことは言うまでもない。
また、TVでは有料袋をいくらだったら購入できるとかいう設問を設定して消費者に問いかけている。私から見るとそのくらいのことは上のほうで決めてほしい。なんだか陰鬱になりそうだ。昨今の北朝鮮問題や韓国問題、国際問題と比較すると比較的軽い問題ととらえられそうな感じがしてくる。悪いが担当者も同じことを考えているかもしれない。
また、最近は比較的購入しやすいマスクだが、このマスクの扱いを食事中あるいは飲み物を飲んでいるとき、どうしているかといった問いも出ている。マスクケースなるものが登場したり、中には革製品で4000円以上の値段がつい出てきたり、私的には疑問符が付く。
これこそ資本主義かな。
このような問題や必要性を見つけたら売れると踏んだら何でも売ろうとするのが資本主義だろうからだ。
地球はこれまで地球温暖化どころか、氷河期を何度も何度もくりかえしていまにいたっている。 安全な地球環境というものはなかったのかもしれない。核を確保する国は少ないくない。現に東アジアでは北朝鮮の非核化は国際安全上での必須事項だ。
核の保持だって小さな問題の積み重ねや、意地と意地がぶつかリ合いが原因で起きている部分もあるだろう。マスクだろうと、プラスティックゴミだろうと、大きな問題とならないとは言えない。人間の生活の一部から発した些細ないがみ合いの結果であった事もあるだろう。
例えば核が1個ピンポイントで攻撃を受けたとしても現代の科学技術を持ってすれば、広域に被害が広がることは少ないらしい。しかし1億人が死亡するようだ。その地域は約100年にわたって放射能の影響を受けて人間の使用には耐えられないと言われる。
しかし70億の人間は相変わらずに、現在の生活を送り続けるらしい。
核の驚異と同様に、プラスティックゴミが地球を大きく変化させてしまう結末を招くことにはならないのだろうか?
科学の発達に伴って人々の幸福度が上がったとは必ずしも言えない。むしろ、生きにくくなった人は多いようだ。
近い将来、人類に科学の進歩にあった、本物の幸福を手に入れる日が訪れるのだろうか。