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生き方いろいろ・・・

人のライフスタイルは人それぞれ異なる。 

というとなぜこんなことを考えるのだろうと思う人もいるかもしれない。人はみんな同じではないのだ。

其々個々のもっている個性は様々なのだ。

とかく人と違う生き方をしていると、周囲から白い目で見られることが多い。

日本はもともと単独民族とか言って、難民の流入にさえ驚く程徹底して消極的だ。

地球規模からしてみたら、難民の救出はもはや根本的に討論する部分からして問題外な気がすると言ったら、おどろかれるだろうか。

元をただせば日本民族とか言っても、もともとホモサピエンスに違いない。アフリカのナイル川流域に派生して長い時間をかけて、世界中に分布した。日本民族は農耕民族とかいう事からおそらく、ホモサピエンスとしてはかなり時代が過ぎてから日本列島にたどり着いたのだろう。元々ホモサピエンスは狩猟採集民族なのだ。

住む環境で、必要に応じて色が濃くなったり、白くなったりその時代のその地域の環境に適応した異変が生き残ってきたらしい。皮膚の色や目の色の違い、毛髪などにその過程が刻まれている。

日本や先進諸国が子供の発生率が低いからと言って、それほど悩むことはないかと思ったりする。日本の地球の裏側では今でも多くの発生率は継続している。種が異なれば繁殖は起きえないが、ホモサピエンス同士ならば種の存続は可能だ。

グローバルな世の中にあって、先進諸国では発生率が低いと言って悩み、不妊治療をする人が後を絶たない。日本では子育て支援など政府の中に子育てについて担当部門がある。生まれたときから、親を知らない人もいる一方で、考え方の違いとはいえ、血は水よりも濃いと言って、何としても自分の子を持ちたいという人もいる。

アフリカのある地域では一人の女性が生涯で生む子供の数は相変わらず5~6人だという。第二次大戦の当時は一人、二人の生き残りでしかなかったが、医学が進歩して幼い子供の死亡率は激減し、成人として成長する確率は驚くほど高くなった。

そのため、アフリカ諸国での人口は驚異的な数字で増加している。地球人口はまもなく80億人に達する予想だ。

一方先進国では労働人口減少に対応する問題が深刻だが、考えようによっては意外と簡単に解決する問題ともいえるではないだろうか。人口減少には難民やそのほかの地域から労働力を流入すれば問題はなくなるのではないか。

とはいえ問題はそれほど簡単ではないようだが。

日本独自の単独民族であるなどという主張が、大気圏外へ飛び出してゆく時代にあって、なお問題視されなければならないことなのだろうか。

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ホモサピエンスは約7万年ほど前、地球を制覇した。他の動植物は人間によって好きなように改造され、制限され続けているし、滅亡さえ余儀なくされている動植物は数えきれない。近い将来、ぞうやライオン、キリンは動物園でしか見られなくなるだろうとさえ言われている。

牛豚、鶏などの家畜は人類の需要によって生命さえ調整されている。その姿を見て快く思う人ばかりではない。極端に言えば、ベジタリアンとして生き方を変更する人もいる。

少なくとも、地球人類みな兄弟などという言葉は空絵ごとなのだろうか。机上の空論なのだろうか。今なお人種差別は国家の大問題だ。

医学は驚異的に進んで、20世紀以降は比較すれば素晴らしい世界が広がっている、これを幸せといわずになんというのだろう。

しかし、この時代にでも生きる望みを持てない病は存在する。

現代の医学によって今後の生きる望みが想像できないとしたら、生きる事が苦痛だけだとしたら、おそらく私でも安楽死を選択するだろう。

人は望んで生れたわけではない、しかし、一旦生を受けたなら、最後の最後まで生に対するのぞみもないままでも、黙って死を待つしかないのだろうか。

先日ALSに罹患した女性が、安楽死を選択し、望みを受け入れた医師が逮捕されたニュース報道が流れたが、自力で生活することのできない人の苦しみは想像して余りある。おそらく想像できないだろう。

望みがないのは医学に望みが持てないからだけではない。

生死にかかわる仕事に携わっている人間でさえ、隠れたところではひどい対応をする人間はいるものだ。極端に言えば人はみな天使ではありえない。人は大方が自分より立場の弱い人間を見ると居丈高になる可能性があるのだ。

医師、看護師がこの度の新型コロナでは、大変な苦労を強いられたことは承知している。しかし、誰でもが必ず献身的で愛情深いとは言えない。弱者やからだの動かない人間に対する誹謗中傷は、ひっそりと、続けられるものだ。

そういった人のいわれなき蔑視、下げすみが生きる望みをなくして行くのかもしれない。

周りの人間がすべて思いやりに満ちていたら、そして自己の生きる望みがもてる環境であったら、とった行動は変わっていたかもしれない。

人間には常に競争心理が働いている。そんなことないよ、と口先では言っても、人間心理としてそれは確実に存在する。さらに傷つけられると仕返しをしたくなる。被害者であると思ったときすでに相手を、傷つけてやりたいと思ってしまう。

自分の味わった苦い思いを相手にも味わせてやることができたら、少しは心が癒されると思い込む。

無意識の中でそんな思いは、繰り返されるだけかもしれない。多くは意識するほどのこともなく過ぎ去るだけの瞬間に人は傷つけあい、排除しようとする。

弱い人間は意見を述べることもなく、ただ川の水のように流されるだけなのだろうか。

行動を振り返り、意識をもっと高く持つことが望まれる。



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