気持ちの悪い思考...無思考(_22歳からの独学帳)
__22歳からの独学帳
目的や考えの無い言動が気持ち悪い。
日頃から自己学習や情報収集に励むnote閲覧者の皆さまは経験した事があるのでは無いでしょうか?基本的に人が何か行動を起こそうとした時には必ず何か目的や考えがあって行うはずです。
しかし、稀にある条件の下では例外が発生してしまうと考えます。
1. 与えられる事による思考停止
私たちは常に誰かに何かを与えられて生きています。おそらくそれが社会であり人間が切り離す事のできない人間関係の大切な要素なのでしょう。
しかし、与えられる事に甘んじて思考停止してはいけません。例えば学校の授業では先生から生徒に教えを与える教育を行う事で生徒たちは新しい疑問を生み出さなくなっています。国語科のテストなどいい例でしょう。
また、会社でも思考停止している人が沢山見受けられます。これは上司や一部のできる人に丸投げして答えを与えられる事を良しとしてしまった悲しい社畜たちの事です。はい、おおよそ8割の会社員の事を指します。(私もその一人です)
※ここから過激な表現になります。
2. 気持ちの悪い思考(無思考)
上記の様な与えられる事が状態化してしまった社会の部品達は若くして思考する能力を奪われます。彼らは自分が部品と化してしまった事にも気づかずのうのう生活を送りながら多くの事に不平不満を抱きます。しかし、その不平不満の原因を追求・改善しようとは考えず。。。
さて、あなたはきっと毎日の様に無思考の発言や行動を目にして不快感を覚えている事でしょう。
どうしたらその不快を取り除く事ができますか?
はい、あなたも無思考者の仲間入りです。
3. 人間は考える一本の葦である。
ここまで読んで下さってありがとうございます。無思考者の同胞の方々。
私たちはきっと学び続けなければなりません。
そして考え続けなければなりません。
あの人と上手くやるにはどうすればいいのだろうか...異性にモテるためには一体何をするべきだろう...売上を上げるためにはどうすれば...何か自分の特技を持つためには...承認欲求を満たすためには。。。
明日からの私はより多くの心に耳を傾けるでしょう。
明日からの私はより多くの知識に興味を示すでしょう。
明日からの私はより多くの疑問を見逃さない事でしょう。
明日からも私は考え続ける事で自分が人である事を実感する。