ライブ終わりに飲むビールより美味しいビールを私はしらない
「お先失礼します、お疲れ様です。」
午後14時。ちゃんと3日前に申請した半日有給だが、昼間にひとり先に帰るのはなんだか少し気が引けて、そそくさと退社する。
幸せって何なのだろう。
ここじゃないどこかに行きたい。
社会人、3年目。2年と少し働いても、まだまだ会社員の自分に慣れない。
月曜は慣性の法則に逆らっているみたいな感覚で身体も心もしんどいし、月から金、10時から19時ときっちり縛られるのもつらい。そんな、社会人としては当たり前のことで苦痛になる自分もすごく嫌だった。
ーーここじゃないどこかに行きたい。
今日は、そう思って取った半日有給だった。平日昼から電車に揺られて帰って、それに伴う少しの罪悪感と開放感を覚えながら、思う存分だらだらしてやろう。それくらいしか気持ちを楽にさせる方法が見当たらなかった。
平日のまだ明るい時間、普通なら会社員が働いている時間に、仕事じゃなくプライベートで電車移動をしている。その事実に、少しずつ、心がやわらかく解けていく感覚がする。
と、ふと前回同じように半日有給を取った時のことを思い出した。少し気が引けながら退社した、同じシチュエーション。
その日は、下北沢にライブをしに行った日だった。
*
3月19日、木曜日。私がギターボーカルを務めるバンド【twopack milk】の2度目のライブだった。新型コロナウイルスの感染者がじわじわ増えてきて、ピリピリとなっている時期だったように思う。
ライブ自体は夜だったが、半休を取って退社したのはリハーサルがあったからだ。
平日の昼間、ギターを背に下北沢を練り歩いていると、それだけで浮ついた気待ちになった。
無事にリハを終え、ライブハウスのオープン時間。twopack milkの出番は三番目だったので、それまでは演奏している他のバンドを見たり、自分たちの演奏の準備をしたりする。
ライブ前は、あまり食べ物を口にしない。歌う時に胃に物がありすぎると歌いづらいから、夕飯時でもおにぎり一つしか口に入れない。お酒もまだ飲まない。
本当はアルコールを入れておきたい。ギターボーカルをしているくせに、あまり人前に出るのは得意じゃないからだ。しかし、お酒は声帯によくないので本番前は飲まないようにしている。
そわそわする気持ちを抑えるため、毎日やっているボイトレの録音を、お守りのように繰り返し声出しをした。
「もう準備して大丈夫ですよー」
ライブハウスのスタッフが声をかけてくれた。ボイトレをしてみてもなおソワソワする心をさすりつつ、ステージに上がる。
「こんばんは、twopack milkです。よろしく」
ーーベルトコンベアのような日常は
意思に反し流れて
望まない明日と降りられない人生で
息が苦しい
いつ歌っても私の書いた曲は私の歌だ。あなたのものにもなりますように。歌う時はさまざまな想いが交錯する。
「ありがとう、twopack milkでした」
ライブの25分間は、いつもあっという間に終わる。興奮で火照った頬のまま、ホールに戻る。
「ビール、ひとつください。」
バーカウンターでビールを注文し、プラカップに注いでくれたビールでメンバーとお疲れ、と乾杯する。
来てくれたお客さんと乾杯する。
一気に、ごくごくごくっと喉に流し込む。
一口に飲む量は居酒屋で飲むそれより多くなる。喉越しが愛おしい。お腹が空いているから、すぐに体じゅうアルコールが回る。
ライブ後に飲む酒はうまい。朝から晩まで追い込んで働いた日や、お風呂上がりに飲むお酒よりも、何よりもうまい。
その後は、アルコールが浸透するのを感じながら共演バンドのステージを観る。アルコールでふわふわしてくる意識と脳に、爆音が刺さる。気持ちいい。天国だ。
あまり幸せを感じられない性格ゆえ日々満たされない毎日を送っているのに、この瞬間だけは満たされまくる。つらい毎日を忘れられる。
ああ、そうだった。
あの時、確かにそこには幸せがあった。
しかし、コロナが流行してここまで半年ほど、予定されていたライブは立て続けに中止になり、ライブハウスは休業、営業を再開してもなお、規模の大きいライブはほとんど開催されない。
私自身も、一度もライブをできていないし、観に行けてもいない。
有給でこっそり会社員から抜け出して、ライブをする平日の午後。あの時間がまた帰ってきますように。
美味しいお酒で再び乾杯できるように、今は曲を作ったり歌のスキルを磨いたりしている。
またあの幸せが味わいたい。生きている実感。日々切望している"ここじゃないどこか"に行けている感覚。幸せだ、満たされている、と唯一思えるあの瞬間ーー。
それまで、強く生きなくちゃ。
強がりでもなんでもなく、そう思った。
あの時間と空間が、生きがいだったんだな。こんな状況になって、思い出してやっと気づいたのだ。
なくしちゃいけない。守らなければ。新型コロナウイルスの存在は、悲惨な非日常をもたらす代わりに、大切なものの存在に気づかせてくれたように思う。それも、自分にとって本当に大切なもの、なくしたくないもの、そんな核となるようなものを。
それに気づいたなら、あとは自分の手でしっかり守るだけだ。落とさないように、すり抜けないように、しっかり守るだけ。新型コロナウイルスが収束して、ステージに戻れる日には、また違う景色が見えるのだろう。少しワクワクできるのが嬉しかった。