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宿命と運命について

宿命と運命ってどう違うんだろうと、
月がきれいな夜にふと思った。

宿命とは、文字のごとく「宿る命」
運命とは、「運ぶ命」と書く。

宿った命とは、すでに決められていること。
変更不可能。
いわゆるネイタルチャートのように、
いつどこで生まれたかというそのタイミングは
どうしようにもかえられない。

運ぶ命とは、この地球上に生まれて、
実際に体験を重ねながら、
自らの命を運ぶこと。
それが自分の道筋になる。
自分の目の前には道はない。
だから、自由だ。
どこに向かってもいいのだから。
そうなると、運命は、
自分次第で変えられるものになる。

宿命=変えられないもの・生まれる前に決まるもの
運命=自分次第で変えられるもの・生まれた後に決まるもの

自分の命をどう運んでいくか。
これは自分で決める。
他人に自分の命を預けて、
自分の道を作ってもらうわけにはいかないのだ。

その人の生まれた瞬間の星。
ネイタルチャート。持ち味。

それが、時としてハードに働くような要素を持っている場合。
それが、その人の宿命となっていて、
ハードながらも、シンプルにどう運んでいくか…
それだけなんだけれど、
天王星・海王星・冥王星のような
宇宙的エネルギーを伴う天体が、
その人の個人天体にハードアスペクトをとり、
悩みの傾向とリンクすると感じるとき、
自分の宿命を、避けては通れない実態のない
重石のようなものに感じるだけでは、
なぜこの星を持って生まれてきたのか
という疑問に繋がるだけで、
前に進めない!という感覚にしかなりかねない。


負荷を感じても、前には進む。
「生きているだけ丸儲け」
という言葉を聞いたことあるが、
自分のままで生きること自体が、素晴らしいこと。
丸儲け的なことなのだということに気づくきっかけも自分のタイミング。

生きているといろんな物事に触れて、見て、体験する。
自分らしくありたいけど、
どこの誰かのある一側面だけを見て、
その人の一側面と、自分の悩みを繋げていては、
自らの運命を生きることにはならない。

片手を腰に手を当て、
もう片方の手を天に向かって伸ばし、
私は、今日も生きていく!と、
意志を持ってい生きていく。


朝起きたら、
今日も私がいるという当たり前の事実を
当たり前にしない感性も
必要ではないかとも思う。

もし、自分の宿命にハードさを感じるのであれば、
闇を見るようなハードな体験と、
同等の光もセットであることも
覚えていてほしい。
闇にしかフォーカスしないから、
光の側面を捉えられていないだけで。
そして、闇を無いものにしないことも合わせて必要で。
光闇どちらもある自分を真ん丸で引き受ける感じ。

それから、季節が繰り返すのと同じように、
陰が極まれば陽に転じるのが自然の摂理。
それならば、落ちるとこまで落ちる体験も、
落ちっぱなしにはならないはず。
落ちっぱなしになっていると感じるなら、
それは自分でそれを選んでいる。

今日も良く生きた。
そんな風に、日々締めくくれたら。
禅語にも「日日是好日」というのがあるように。

私の宿命を知り、
それを引き受けて、
私の運命を生きる。

それは、私の星を知り、
それを知ることで、
何を選択していくか、
そのプロセスこそが、
私の道筋。
私の運命になっていく。

この記事も私の運命だ。

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