『Energy』そのエナジーはどこから?
「音楽」そのものに費やすエナジーを描いた楽曲。その視点自体が斬新で面白い。だが、全体を概観するとテーマはそれだけでないような……?
モチーフとしての「音楽」に着目しつつ、順を追って見ていく。
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まずは1番。
安眠を妨げるほど喧しい工事。ショベルカーが起こす振動と騒音をバイブレーションに喩えている。工事そのものではなく、工事によって生じる「音」に焦点を当てているのが特徴的だ。
眠りに落ちる直前、正気と夢の狭間で頭に浮かんだフレーズ。体験としては朧げに記憶しているが、楽譜に書き留めていないため肝心の内容は全く思い出せず、再現できそうもない。
ちなみに「音楽」だけでなく「現実と空想」もこの楽曲のテーマである。
メロディー、モーツァルト、トレモロと直球の音楽関連ワードが続き、この辺りから題材としての「音楽」が色濃く提示されていく。
「今日もメロディー 進まない」とあるように、主人公は音楽家(作曲家)の一人なのだろう。
表現したいイメージはある、しかしそれを上手く具現化することができない。何日も何日も同じ箇所で行き詰まっているうちに「モーツァルトならどう書くの?」などと現実逃避に走ってしまいそうにもなる。
それでも諦めず、大好きな音楽を聴いた時にはやる鼓動の感覚、「胸のトレモロ」を思い出しつつ奮起するのである。
キーワードが出てきた。時間旅行とは何か。
おそらく「時間芸術である音楽の中に引き込まれるような体験(=音楽に運ばれる旅行)」を指しているのだと考えられる。
素晴らしい音楽に出会った時、我々は時が経つのも忘れてそれに聴き入り、その音世界に没入すればするほどあっという間に夢のような時間は過ぎていく。まさに旅行、トリップである。
(余談:私にとって初めてのチャゲアス体験は完全に「時間旅行」だった。真夜中に『Love Affair』のライブ映像を観た時の衝撃。繰り返し再生し続け、気がついたら夜が明けていた。数時間にわたるトリップだ→22歳、突如CHAGE and ASKAにはまる)
時間旅行に誘える(いざなえる)ほど人々を魅了する音楽を作りたい。いや、作らなければならない。音楽で生計を立てている彼にとって、良い音楽を期限までに生み出すことは死活問題なのである。
納得のいくメロディーが思いつかないまま、いよいよ納期間近になってしまった。弱音を吐いている場合ではない、そろそろ何とかして形にせねば。さもなきゃ眠れない!
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次いで2番へ。
1番では部屋に篭って五線譜と睨めっこしながら唸っているような場面が描かれ、"作曲者としての"苦悩がフォーカスされていた。しかし、ここで取り上げられているのは実際に舞台に上がり音を奏でる者としての主人公の体験談である。彼の"演奏家としての"目線や感覚が語られるのは、後にも先にもこの一箇所のみ。
ここで書かれているのは、アドリブ演奏中のミュージシャンの心情。
自分を取り巻く全ての要素(気分, 客の反応, 音の調子…)を感じ取って柔軟にメロディを紡いでいくのが即興演奏の魂である。しかし、毎秒ごとに移ろいでいくそれらに反応するには相当の気力が必要だ。ふとした瞬間、ついつい"いつもの"パターンが思いついてしまう。
このままではまずい…!既視感のあるフレーズに走りそうになるのをぐっと堪え、必死の思いで頭と身体をフル活用し、その場で考えられる限りの最善の音を一つずつ連ねていく。すると、自分でも信じられないような力が発揮され、ベストアクトを残せたりする。
驚異的なまでの音に対する集中力や尋常でない緊張感、そういった即興ならではの様々な要素が重なり合い、普段なら持ち得ない大胆さが漲るからこそ、何十回に一回の割合でそのようなミラクルが起こるのである(そしてそのような奇跡こそが即興演奏の醍醐味でもある)。
アドリブに要する並々ならぬ「エネルギー」。それを生み出し昇華する過程を、躍動感と鮮やかさをもって描写した箇所だ。
これは作曲活動が思うように進まない主人公の回想だろうか。真っ白なままの五線譜から意識が遠のき、無意識のうちにあのライブを思い出す。ランナーズハイのような恍惚とした精神状態、熱量と興奮、自由自在に音を操れた感覚、それらが鮮明に蘇る。
束の間の白昼夢も醒め、自身のスランプに呼応するかのようなピアノの不調が提示される。ピアノは作曲に使うツールだろうか。自分の調子の悪さを"不機嫌"なピアノに責任転嫁しているのではないかと穿ってしまいそうにもなるが、その真相はさておき主人公が絶不調であることは確かである。
今日も今日とてメロディーが思いつかない。このままでは徹夜が確定するだけでなく、明日のデートもキャンセルしなければならない。情けない上に申し訳も立たず、気は滅入る一方。しかし、ここで突っ伏していても現状は何一つ改善しない。何とか気を引き締めて取り掛かるしかないのである。
ここでさり気ないながらも大切なポイントが二つ。
まず一つ目は、恋人の存在が明らかになったこと。恋愛をする余裕も興味もない仕事人間という訳ではなかったようだ。良かった(?)
二つ目の鍵は「喉をふるわせて」というフレーズ。主人公の楽器パートは今まで明示されてこなかったが、この様子だとボーカリストのように思われる。ボーカリスト……。
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以上で見てきた通り、主人公が音楽に費やすエナジーに焦点を当てた楽曲だ。期限に追われつつ、創作への熱意も維持しつつ。
さて、最後に一つ考えたい。主人公をこうも音楽に向かわせる活力は何か?応援してくれるファンのため、純粋に音楽が好きだから、活力も何も稼がないと生きていけない、改めて検討するまでもなく様々な理由が思いつく。そのどれもが正しいだろう。
その上で、以下の箇所を見る。
特筆すべきは「殺し文句が飾れるように」。
時間旅行の次は殺し文句ときた。ここまで来れば、彼にとっての殺し文句とは「言葉」ではなく「音楽」だとしか考えられない。音楽のプロである彼にとって、自分が一番輝くのは音楽を味方につける瞬間だという自負もあるだろう。魅力的な音楽を武器に、人々の心を掴みにかかるのである。
ところで、ここでの「殺し文句」という言葉のチョイスはやや意味深に感じられないだろうか。殺し文句とは「男女間で用いられる、気持ちを強く惹きつける巧みな言葉」。要するに、意中の異性を口説く際のとっておきのフレーズである。
そうなると「"人々の"心を掴む」とは少しイメージが異なってくる。彼が音楽を通して惹きつけたい対象は、不特定多数のファンというよりむしろ「君」ただ一人なのではないか。敢えての「殺し文句」という言葉の選択には、そう思わざるを得ないような意図を感じてしまう。
仕事であり商品でもある音楽を通して、恋人を自分にぞっこんにさせたい。惚れさせたい。もちろん表向きには世間がターゲットだが、本音のところ最高の音楽を届けたい相手は君しかいない。そのようなメッセージに捉えられるのである。
そう考えると、時間旅行に誘いたい対象も、他でもない君(だけ)なのかもしれない。肝心の「君」の存在は「デート」というワードから窺い知れるに過ぎないのだが。
『Love Song』が恋人へのラブソングと見せかけてファンに向けた愛を唄っているように、『Energy』は大勢の人々を対象として楽曲製作に取り組む音楽家のスランプを描いていると思わせながらも、実は恋人だけを真っ直ぐに見つめた純粋なラブソングなのではないだろうか。
空想と現実を行ったり来たりし、身を削りながら生み落とす音楽。そのエナジーは全部君への恋心から湧いてくるものなのである。そう考えると、主人公の彼がキザっぽくもいじらしくも思えてくる。
この主人公(作曲家兼ボーカリスト)は誰かの投影だったり……?
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ラスサビ、怒涛の畳み掛け。
改めて眺めても、やはり「殺し文句」はなかなかに攻めたワードである。肝だと思う。