20230107_salvage
クロスノエシスに関することをいくつか書いてきた。
先般、それらの記事をマガジンにまとめたのだが、独立した記事になっていないために、まとめきれていない内容もある。僕は月記と称して毎月記事を書く習慣を続けているのだが、そのなかでも度々クロスノエシスに関することを書いてきた。
この記事には、それら月記のなかに書いたクロスノエシスに関する部分を抜粋、一部修正をしたうえでまとめる役割を担ってもらうつもりだ。今後この記事自体を更新していくかもしれないし、しないかもしれない。
いまのうちにやっておくことに意味がある。
「entity」、ステージとライブアイドル(2022.10)
スタジオライブとはなんだろうか。ライブとは。スタジオとは。ライブハウスとは。ステージとは。
「entity」はそうした細かな問いに対して、総合力で真っ向勝負を挑んでくる演目だ。さまざまな仕掛けを散りばめて楽しませてくれるクロスノエシスだが、その根幹にはシンプルに鍛え上げられてきたパフォーマンス力(ぢから)がある。アイドルパフォーマンスは総合力で評価される、というような論を聞いたことがある。あるパフォーマンスの総合力について説明しようとしたとき、言葉でそれをするのはなかなか難しい。最も雄弁に語れるのは、そのパフォーマンスそのものだろう。
ゆえに、クロスノエシスは「entity」そのものを世に放ち、その在り処を示した。これが我々の力だ、と。
〔元記事〕
「chronicle」、再録とライブアイドル(2022.08)
アイドルグループ・クロスノエシスが2019年に発表した同名の1stミニアルバムの再録版。現在のメンバー5人でボーカルを再録、リマスタリングを経て、音源としてのクオリティが大幅に向上している。クロスノエシスが現在のメンバー編成となったのは2020年2月。現在に至るまでの2年半の間、「chronicle」収録曲はライブで何度も披露されてきた。ファンにとってはまさに待望の一枚だ。
クロスノエシスは直近で1stフルアルバム「circle」を発表している。新曲だけでなく、現メンバーになってからの2年半で発表されたシングル曲等も含めた全18曲を収録、こちらも待望の一枚だった(どのくらい待望だったかについては僕の文章を見て頂けると温度感が伝わるかと思う)。
クロスノエシスはいわゆる「ライブアイドル」という括りでおおよそ捉えることができる。実際にライブパフォーマンスを見ると、もちろんそこにはダンスがあり、音源とは異なる歌声があり、その場でしか生まれない空気があることがわかるはずだ。音源(≒聴覚)だけでは味わえない、ライブでの楽曲表現がクロスノエシスの強みだ。そうした活動を最低週一くらいのペースで続けているということも、あらためて考えると凄まじい話である。もちろん、いくらライブが魅力だといっても、その魅力は楽曲という基礎の上にこそ成り立つものだ。良質な楽曲という舞台に、優れたパフォーマーが立ち、ライブという現象の中で新たな表現が生まれる。その表現はオーディエンスやパフォーマー自身を通じて、楽曲にフィードバックされていく。いわゆる「曲が育つ」という言い回しは、ある意味ではこうしたダイナミズムの一面を表しているように思える。
ただ、こうした「ライブアイドル」の魅力は、裏返せば克服しがたい弱点とも言える。曲が育てば育つほど、音源として流通する曲との間に、ある種の乖離が生じてしまうのだ。これは構造上どうしようもない話ではある。音源として歌声だけが記録された時点を出発点とすれば、振付がついて、場合によっては衣装や映像も準備され、何度も歌って踊って辿り着いた現在地点とは、必然的に違いが生まれる。「chronicle」に話を戻してみれば、メンバー編成すら変わっている。2019年の「chronicle」に感じてしまう物足りなさは、現メンバーが積み重ねてきた2年半の重みを逆説的に証明している。
再録された「chronicle」は、これまで書き連ねてきた言いがかりを一蹴する。2年半のダイナミズムが、この音源には宿っている。再録されたボーカルが技術的に洗練されている、ということはもちろんなのだが、個人的にはそのボーカルのミックスに注目したい。目の前に舞台があり、そこに立つメンバーの位置が感じられるかのように、各ボーカルが立体的に配置されているのだ。特にわかりやすいのは「ペトリコール」のAメロ部分、2人ずつ左右に振り分けられているのはもちろんとして、上下の位置関係も振り分けられている。Aメロの前半後半で2組のペアが歌うのだが、それぞれが斜めの線を描き、入れ替わり交差するように作られているのだ。加えて、直近の作品である「circle」と比較すると、「chronicle」はボーカルがより抑え目に作られていることがわかる。サビはもちろんボーカルが主役になるのだが、音量を機械的に上げるわけではなく、各ボーカルを横に広げて配置することで存在感を演出しているという向きが強い。「circle」ではボーカルが中央寄りに集まることで塊としての力を帯びており、ボーカル処理の観点では対照的だといえるのではないだろうか。「circle」が(ある意味では必然的に)スタジオワーク的な作品である一方で、再録版「chronicle」はとてもライブ的な作品だと言えるだろう。
再録という機会を活かし、ライブで生まれた魅力を音源レベルまで落とし込んだ「chronicle」は、クロスノエシスの「ライブアイドル」ならではの魅力がパッケージされた作品だといえる。年代記という表題に違わぬ、魅力的な一作だ。
〔元記事〕
「cry for the moon」、再演とライブアイドル(2022.04)
クロスノエシスは、2022年5月27日で活動3周年を迎える。5月には記念日当日に向かい、東名阪をめぐる3rd Anniversary Tour「0」を開催する。
そして4月、それに先駆け1stフルアルバム「circle」を発売した。是非とも手に取って頂きたいアルバムだ。これについては個別の文章を書いたので、そちらも何卒よろしくお願いしたい。
前掲の文章には縛りがある。あくまで2022年4月11日時点での内容を書いている、ということだ。よって、いまこの文章を書いている4月末時点では、色々と変わることもある。ここではそのひとつでもある、定期公演「cry for the moon vol.8」について書く。
僕は「previously」が好きだ。「光芒」も好きだ。そして「逆光」も好きだ。特に好きな曲ばかり、自分が作ったセットリストかと思ったが、4曲目から話は変わった。
8曲目の「幻光」はアルバム「circle」に収録されている曲だ。そしてこの曲は、2曲目の「光芒」と5曲目の「幻日」が混ざり合ったものだ(正確に言うと「幻光」が本来の姿であり、それが分割されてしまっていた、という時系列になる、らしい)。これら3つの曲は、構成、メロディ、音色、歌詞、振付など、全ての要素が関係しあうように作られているのだ。つまりこのセットリストには、「光芒」と「幻日」が「幻光」として再生していく過程が表現されていると考えられる。
更にこのセットリストでは、前述した曲たちを挟み込むように2つの曲が配置されており、3つのブロックが繰り返されている。
まず「逆光」についてだが、これもまた「circle」に収録されている曲であり、この日がライブ初披露だった。なんで3回もやるのか、というのは「circle」のなかにヒントがある。ブックレットの「逆光」のページを見てみると、そこにはポツンと置かれたテレビが描かれ、その画面内に「幻光」のページが入れ子のように映っているのだ。どうやら「逆光」の視点は、「幻光」を俯瞰するメタ的なものだと捉えることができそうだ。
そして「previously」なのだが、この曲は1stミニアルバム「chronicle」に収録された曲であり、このセットリストを構成する他の曲とは発表された時期が大きく異なる。パッと関連する要素は思い当たらなかったのだが、歌詞を読んでいたところ、それっぽい部分があった。「逆光」には『かさなった手が 連れさった闇夜 消えさった罰』という一節がある。「previously」では『消えた朧げな夜は 罪も嘘も美しい』とある。『夜が消える』というイメージは共通しているが、「逆光」は『消えさった罰』と歌うのに対し、「previously」は『罪も嘘も美しい』とその美しさを見出す。『罪も嘘』も大まかに言えば『罰』と近しい。また、お互い最後の歌詞もイメージが似通っている。「逆光」は『光の内側 巡り続けて』、「previously」は『何も何も何も無くて 空白のループ』と、どちらも『円』のイメージで曲を締めている。共通のイメージを手掛かりにしながら、双方の時間軸について考えるのも面白そうだ。ちなみに、間にあるはずの「幻光」たちについては、もう僕の処理能力が終わってしまったため、またいつか、ということで。
最後に、「previously」の歌詞を読むなら、ぜひ「chronicle」のCDを持ち出してみてほしい。
〔元記事〕