愛の境目の話

恐らく、結婚というものにいちばん近かった恋人のことを考える時に思い出すエピソードのひとつで、わたしの中に分かりやすく愛情の境目があったなと感じるものがある。

その彼とはたしか二年半ほどお付き合いをしていたと思うが、一年ほど経った頃から、彼が「愛してる」という言葉を使うようになった。
「好き」だとか「だいすき」だとかは当たり前に日常で言い合っていたが、その言葉を伝えられた時、わたしは同じものを返せずに誤魔化した。どうして返せなかったのかは今でも分からない。恥ずかしかったわけではなかったと思う。強いて言うなら、“しっくりこない”が最も近かったか。

それからも彼はその言葉をたびたび伝えてくれて、わたしはそのたびに誤魔化した。少しの罪悪感もあって、同じ言葉を返せていないことに相手が気がついていないといいな、と思っていた。

二年過ぎた辺りで、本当にするりと「愛してるよ」を返せるようになった。“しっくりきた”のかはおぼえていないけれど、自然すぎて違和感を覚えるほど自然に。
その時に彼が、「やっと言ってくれたね」と返してきてものすごく驚いた。気がついていたのか。まぁそれはそうだよな。

結局、その方ともお別れしてしまったわけだが、別れた理由の根幹は、「お互いの考えていることを相手に伝えられない」だったように思う。

このことを思い返すたび、もしかしてわたしって人をちゃんと好きになるのに二年かかるのか? とびびってしまう。
だとしたら、友愛と恋愛の違いが分からないのも仕方ないよなとも思う。毎日LINEをして、ほぼ毎日電話をして、週1〜2回会ってても二年かかるんだから。

そろそろこのエピソードを思い返すのも飽きてきたので、言葉に残して仕舞っておくことにします。おわり。

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