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「モナリザ」を見た人の数を推定してみよう

ルーブル美術館の目玉の一つは「モナリザ」です。毎年多くの人がこの絵を見に訪れますが、今までに何人が「モナリザ」を実際に見たのでしょうか?これを簡単に推定してみましょう。

モナリザが描かれた当初(1506年〜1519年)

「モナリザ」は1503年から1506年頃にレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれました。しかし、描かれてすぐに一般公開されたわけではなく、ダ・ヴィンチの所有物として限られた人々しか見ることができませんでした。この期間、彼の個人的なサロンや工房で一部の貴族や芸術家が鑑賞したと考えられます。この時期に年に50人が見たと仮定し、1506年から1519年の13年間では約650人がモナリザを見たと推定されます。

フランソワ1世時代からヴェルサイユ時代まで(1519年〜1793年)

1519年にダ・ヴィンチが亡くなり、モナリザはフランス国王フランソワ1世の所有となりました。この後、ルーブル宮殿や他の王宮に収蔵され、特別な訪問者のみが見る機会がありました。

  • 1519年〜1682年(フランソワ1世からルイ14世の時代):この期間は王室関係者や貴族が年間100人ほど鑑賞したと仮定し、163年 × 100人 = 16,300人が見たと推定されます。

  • 1682年〜1793年(ヴェルサイユ移転後の時代):モナリザが一時的に展示されなかったり、限られた人しか見なかった時期です。年間50人が見たと仮定し、111年 × 50人 = 5,550人が見たと推定されます。

これらを合計すると、22,500人が1793年以前にモナリザを見たと推定されます。

ルーブル美術館一般公開後(1793年〜1950年)

1793年、フランス革命後にルーブル美術館が一般公開されました。しかし、当初の来館者数はそれほど多くありませんでした。

  • 1793年〜1850年:交通手段の発展が限られていた時代で、年間1万人が来館したと推定されます。57年 × 1万人 = 57万人

  • 1850年〜1900年:鉄道などの発展で年間10万人が来館したと仮定すると、50年 × 10万人 = 500万人

  • 1900年〜1950年:さらに観光が発展し、年間50万人が来館したと仮定します。50年 × 50万人 = 2,500万人

これらの期間の来館者の80%がモナリザを見たと仮定すると、合計で約2,445万人がモナリザを観たと推定されます。

1950年以降の来館者数

1950年以降、ルーブル美術館は観光スポットとして劇的に発展しました。近年のルーブル美術館の公式データでは、年間来館者数は通常800万人〜1,000万人と言われています。

  • 1950年代:戦後の観光業はまだ発展途上でした。年間来場者数は比較的少ないと考えられます。年間100万人。10年間で1,000万人

  • 1960年代:ヨーロッパ旅行が一般的になり始めた時期です。年間300万人。10年間で3,000万人

  • 1970年代:国際観光がさらに盛んになりました。年間500万人。10年間で5,000万人

  • 1980年代:観光インフラが大幅に改善されました。年間700万人。10年間で7,000万人

  • 1990年代:デジタルメディアやグローバルな旅行トレンドが発展しました。年間800万人。10年間で8,000万人

  • 2000年代:観光のグローバル化と航空旅行がより一層普及しました。年間900万人。10年間で9,000万人

  • 2010年代:2019年に観光客数は1,000万人を超えましたが、2020年以降はパンデミックの影響で一時的に減少しました。平均年間900万人。10年間で9,000万人

これらを合計すると、約5億人が1950年から2020年までにルーブル美術館を訪れたと推定できます。そのうち、90%がモナリザを見たと仮定すると、約4.5億人がモナリザを鑑賞したと考えられます。

結論

1506年から現在までにモナリザを見た人数を合計すると、約4億7,447万人がモナリザを見たと考えられます。

1950年頃に爆増し始めたことがわかる
指数関数的な増加になっていることがわかる

この推定はおおまかですが、モナリザがいかに多くの人々に影響を与えてきたかを知る一つの指標となります。

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