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あの川の幻想

ここの水はいつでも透き通っている。
この川はわたしの住む集落に流れているあの川に似ている。けれど、それよりももっと大きくて深い。

ここの川には多分車で数回は落ちている。
1度目はなんとなく覚えている。
もっともっと下流の方だったので、川幅はかなり広くなっていた。
道路から川へと続く芝生の土手を、古いガードレールを突き破りごろんごろんと転がった。
いつも落ちないと安心したところで落ちているような気がする。

今回の夢で落ちた川は農業用水路としても使われているらしかった。けれど用水路と聞いて想像するほどの小さなものではなく、どちらかと言うと小さなダムと言う感じのサイズ感だった。
水路の幅は7メートルほどで、高さは10メートルほど、そのうちの4メートルを綺麗な水が絶え間なく流れていた。あまりに透明なのでそこまで全部が見えていた。
また、用水路と言っても、単純なU字ではなく、
飛び込み岩のような箇所があちこちにゴツゴツと出ており、それがまたその場所を味のある風景にしていた。

誰が運転していたかは覚えていないけれど、同級生が数人同乗していたその車が崖のような場所から落ちた。扉も窓も開かず私たちにはなすすべがなかった。
また落ちないと思ったところで落ちた。
私は落ちるとすぐに、鯉たちは無事だろうか、と心配した。その川にはたくさんの鯉がいたからだった。
誰かが離した鯉が増え、今では様々な色がきらきらと水下を移ろっていて、かなり大きくなったものもいる。ピラルクを連想させる大きさだった。

車で落ちたはずなのに、気づくと私たちは用水路の縁に立っていて、友人の一人がそこへ躊躇なく飛び込んだ。
あんなに大きな鯉がいるのに、と思った。
けれどもそう言えば、私たちは小学生の頃、よく川でこういう遊びをしていた。
本当に綺麗な川だった。
ゴーグルをしなくても目を開けることが出来る優しく透明な水だった。
最後の記憶は祖父と弟と川へ行った時のもので、祖父はまだ元気に鮎釣りをしていた。
懐かしさと言うのは暖かいけれど同時にとても悲しくなる。今はもうその祖父も脳梗塞をして半身が麻痺している。
昔を思い出すと、今はもう失われたものを無力にも惜しんでしまう。惜しむ、と言う漢字の作りが適切過ぎて泣けてくる。

最近では雨が降らないために、川の水量がかなり減ってしまったし、降ったかと思えば水害になるので、至る所に木々が引っかかっていたりして、水は泳ぐのが危険なほど濁っている。
信じられないほどに荒れてしまった。
だからこんなふうに、夢で泳ぐのかも知れない。

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