見出し画像

祖父の文字

わたしは祖父のことを我が家で二番目に興味深い生き物だと思っている。
一番は無論母で、あんなに真っ直ぐなものは他に見た事がない。真っ直ぐすぎる事が今の世の中にあって逆に珍しく興味深い。

祖父はわがままだし頑固で痛みにめっぽう強い。
一例に釣り針事件がある。
皆は鮭をとる釣り針ってご存知だろうか。
鮭を釣るための大きな釣り針。三又に分かれていて、それぞれの針に大きな返しがついている。
もう10年くらい前だが、それが祖父の右の上瞼を貫通した事があった。釣り針を目の上につけたまま血だらけで帰って来て、救急車を呼ぶとあせる家族を尻目に、その針を自分で抜き取っていた。
眼球に大きな傷はなく無事だったけれど、常人なら確実に病院へ駆け込む大怪我だった。
それなのに祖父は針を抜き取ると少し大きめの絆創膏をそこに貼り、ソファーに座っていつも通りテレビを付けた。決して医者へは行かなかった。
幸い菌なども問題なかったようで、今ではその傷も全く気にならないほどになった。
幼いながらにその出来事へは何か別の恐ろしさを感じた。

何年か前に、祖父は病気で半身麻痺になった。
わたしの知る祖父は、それまでずっと自分の好きな時に好きな所へ行って趣味を楽しんでいた人だったので、このことを境にボケたりしてしまうのではないかと心配した。けれど、少しもボケることなく相変わらず仲間や家族の手を借りて趣味を楽しんでいる。
また、祖父がその体のことで悲嘆したり怒っているのは聞いた事がない。
半身でも体を引きずる事になったら、誰しも普通少しは凹むと思う。
凹んでいるのかも知れないけれど、周りにはそれが全くわからないほどに相変わらず頑固でもって自由でいる気がする。

そう、祖父には不思議と不自由さが見当たらない。
確かに右手は完全に使えず、右足はかろうじて歩行できるくらいに麻痺しているけれど、わたしには祖父がとても自由に見える。
祖父は色々なことに囚われていない気がしていた。

右手が麻痺しているため、祖父は文字を左手で書く。
今日の朝、唐突に祖父が利き手で書いた文字を見たくなった。
病気になる前はもちろん利き手で文字を書いていたと思うけれど、わたしは祖父の文字を全く覚えていなかった。

どうしようもなく気になって家のあちこちを探したけれど、出てくるのは祖母が書いたものばかりだった。結局祖父の利き手で書かれた字は何一つ見つからなかった。

そこで私はやっと
祖父の本当の思いに少しだけ触れた。
とても悲しく寂しい気持ちになって、
同時にとても勇気をもらった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?