橋本倫史+宇田智子「市場に続いた三年九か月のこと」(前編)
「県民の台所」として知られる那覇市第一牧志公設市場は、2019年6月から半世紀ぶりの建て替え工事が始まりました。建て替え工事が始まって、風景が変わってしまう前に、今の姿を記録しようと、僕は2019年5月に『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社)を出版しました。
市場が一時閉場を迎えると、街の風景は想像した以上のスピードで変化していきました。市場は100メートルほど離れた仮設の建物で営業していましたが、人の流れが如実に変わってゆくのを感じました。
その様子を目の当たりにして、建て替え工事期間の風景を記録に残さなければと、琉球新報で「まちぐゎーひと巡り」と題した連載を始め、さらに「まちぐゎーのひとびと」と題したフリーペーパーを自分で発行し、毎月那覇に通いながら取材を重ねてきました。「まちぐゎー」とは、市場を意味するうちなーぐちです。
その連載が『そして市場は続く 那覇の小さな街をたずねて』(本の雑誌社)として一冊にまとまったことを記念して、公設市場の向かいで「市場の古本屋ウララ」を営む宇田智子さんと、ウララの軒先で対談を収録しました。公設市場が一時閉場を迎えてから、新しい市場がオープンするまでのあいだの、三年九か月のこと。
まだ何も終わった感がない
橋本 4年近い建て替え工事期間を経て、3月19日、那覇市第一牧志公設市場がリニューアルオープンしました。今日は4月26日だから、あれから1ヶ月と1週間が経った計算になりますね。
宇田 もうそんなに経つんですね。こないだ、アーケードの事故があったのはご存知ですか。
橋本 えっ、事故?
宇田 市場中央通りの第2アーケードの補修をお願いして、テントの張り替えをやってもらっていたんですけど、この前の土曜日に作業をしていた人が落ちたんです。そのとき私はここにいて、バーンってすごい音で落ちてきて。テントの古いところに足をかけてしまって、テントが破れて。救急車がきて、そのあと警察と消防もきて、かなりの騒ぎになったんです。その工事は第2アーケード会が発注したもので、私もその一員なので、すごく心が苦しくて。落ちた人は意識はあったんですけど、腰や太ももの骨を折る大怪我だったそうで、すごくショッキングな出来事でした。
橋本 最近移動続きで、新聞を読めてなかったので知らなかったです。
宇田 アーケードで言うと、新しい第1アーケードの建築審査会が昨日ついに開催されて、無事に審査が通ったらしいんです。あとはお金さえどうにかなれば工事に着手できる状態になったところなので、市場の建て替え工事が終わっても、まだ何も終わった感がないですね。市場が戻ってきたら、今はもう、これが当たり前みたいになって。それに、市場の外小間はまだ開いていない店もあるので、建替前ほどは「人がいっぱいいる」って雰囲気でもないんです。それでも、工事中とは比べものにならないくらいにぎやかになりました。やっぱり市場の力はすごいです。
橋本 たしかに、外小間はまだシャッターが下りたままの小間が多いですよね。市場の工事が遅れたことで、小間が店主に引き渡されて開店準備の作業ができる時間も短かったでしょうから、3月19日のオープンに間に合わないお店があるのは仕方ないことなんだろうなとは思ってたんですよね。ただ、1ヶ月以上経った今もその状態が続いていて、まだ看板が掲げられてない小間もありますもんね。
宇田 アーケードができてないせいかもしれないですけど、まだ通りの一体感がない気がして。前より市場が遠いような気がします。
一時閉場とリニューアルオープンのあいだの日々
橋本 市場がリニューアルオープンした日は、かなりの人出がありましたよね。日曜日の10時からセレモニーが開催されて、通りを埋め尽くすほど人が集まって、そんな姿を見るのは4年前の一時閉場セレモニー以来だなという感じがありました。宇田さんの中では、リニューアルオープンの日はどんな記憶として残ってますか?
宇田 思い出すと、「とにかく人がわさわさいた」っていうことしかないですね。この人たちは今までどこにいたんだろう、どこから来たんだろう、と思っていました。今もまた、その人たちはいないんですよね。
橋本 たしかに、リニューアルオープンから賑わいは続いてますけど、あのときほどの数ではないですもんね。
宇田 3年ぶりに店が戻ってきたんだったら、それもわかるんです。でも、建て替え工事のあいだも仮設の市場があって、そこで営業していた人たちが引っ越して戻ってきたっていうことなのに――もちろん建物は新しくてきれいなものに変わったんですけど、あの日市場に来ていた人たちが求めるものは何なのか、不思議です。
橋本 2019年6月16日、市場が一時閉場するときにもセレモニーが開催されて、そこにも大勢の人が詰め掛けてましたよね。一時閉場セレモニーも、リニューアルオープンのセレモニーも大賑わいでしたけど、雰囲気が違ったのが印象的で。一時閉場のときは、いろんな人が思い出を持ち寄って、今の建物がなくなることを惜しんでいる感じがあったのに比べると、今回はそういう雰囲気でもなかったですし、来賓の顔ぶれもかなり違いましたよね。一時閉場セレモニーのときは、最後にカチャーシーになって、その日の写真を見返しても、市場にお店を構えている方たちがたくさん写っていたんです。でも、リニュアールの日は、市場にお店を構えている人たちはオープン直前ということもあって、ほとんど姿は見えなくて。ただ、県知事や国会議員も参列してましたし、前総理まで出席していて。お金と人を投入して新しい施設を作るっていうのはこういうことなんだなと実感しました。
宇田 そうですね。リニューアルオープンのセレモニーでは、市場の中のお店の話はあまりなかったですね。
橋本 僕の中では、前著『市場界隈』で那覇の公設市場界隈を取材したことで、一区切りのつもりでいたんです。ただ、一時閉場セレモニーが開催された翌日以降にマチグヮーを歩いてみると、如実に人の流れが変わった感触があったんですよね。前の建物での営業は終了しましたけど、2週間後からは仮説の市場で営業が始まっているのにも関わらず、人通りが減った感じがあって。セレモニーがあれだけ盛大だっただけに、「皆どこに行っちゃったんだろう?」という気持ちで街を眺めていました。
宇田 『市場界隈』の取材をされていたときは、「市場がもうすぐ閉場する」ってゴールが見えていた状態だったと思うんです。ただ、今回の本は、「いつか新しい建物が完成して、市場がおなじ場所に戻ってくる」ってことは決まっているにしても、不測の事態もたくさん巻き起こって、どう落としどころを見つけるかわからないまま取材を始めているわけですよね。こうして本にまとまったものを読むと、やっぱりこの時期は歴史的な時間だったというか、市場の歴史の中でもすごく特殊な時間だったなと思ったんです。今とはもうずいぶん状況が変わっているから、すでに歴史みたいな感じがして。一番ギョッとしたのが、「江島商店」さんのところで。
橋本 ギョッとした?
宇田 この中で、「市場中央通りはかつて、大勢の買い物客で賑わっていた」と書かれてますよね。なんでもない部分なんですけど。マチグヮーで「かつて賑わっていた」と言われるのは、だいたい戦後すぐのことなんです。でも、この「かつて」は市場の建替前のこと。つい最近じゃないですか。しかも、これはコロナの前の段階の話です。市場が一時閉場した時点で人通りが激減していたんだな、とあらためて思いだしました。そのあとコロナの影響でさらに人通りが減るわけですけど。とにかく、私が店を開けていた時代も「かつて」と言われるぐらい古くなったのかなって感慨があったんです。
橋本 そんなふうに言葉を立てて書いたのは、琉球新報で連載していたことも影響している気がします。琉球新報で連載していると、県内各地でいろんな方に読んでもらえるわけですよね。一時閉場セレモニーが盛大だったのに比べて、仮設市場がオープンしたあともどこか閑散としている感じがあっただけに、「市場はまだ続いてますよ」ってことを、言葉を立てて伝えなきゃって気持ちがあったんでしょうね。
まちぐゎーの取材と当事者感
宇田 『市場界隈』に比べると、今回は橋本さんの当事者感が出てるなと思いました。それが一番大きな感想です。
橋本 本当ですか。当事者感?
宇田 『ドライブイン探訪』や『市場界隈』のときは、「表現はしない」ってことをよく言ってたじゃないですか。それが『東京の古本屋』になると、自分もその場所にいるんだけどいないみたいというか、取材している店主と橋本さんが溶け合っているみたいになって。『水納島再訪』も、急に時空を超えるような不思議な表現がいっぱいありました。でも、今回の『そして市場は続く』は、橋本さんが完全にその場にいる感じがしたんです。それに、最後の締めの言葉に、橋本さんが思っていることを結構はっきりと書いてますよね。「地元と観光の境界線が消えてゆけば、まちぐゎーの魅力も再発見されるはずだ」とか、「アーケードの下、小さな個人商店が軒を連ねるごたごたとした風景こそ、私が美しく感じる那覇の姿である」とか。
橋本 たしかに、『市場界隈』のときにはそういう物言いはしてなかったですね。
宇田 あと、「お食事処 信」の回だと、最後に「カジマヤーを迎えた粟國さんと乾杯する日を夢見ている」と書かれてます。「お食事処 信」はもう閉店しているから、取材とかではなくて、「そのときも会いたい」っていう個人的な気持ちの表明なのかな、と。パン屋さんを取材した回だと「パン切り包丁を買い求めた」と書かれていて、那覇でおぼえたことを東京にまで持ち帰っています。そのお店に行っているお客さんとしての橋本さんが、『市場界隈』のときより前に出てきている感じがしました。あと、「旧・若松薬品」の回だと、最後にこう書かれています。
宇田 これはつまり、橋本さんも記憶を引き継ぐ一員になるっていうことですよね。別に橋本さんが引き継がなくてもいいのに、自らこう書いているのがすごいなと思ったんです。
「わたし」の感情を誰かに手渡す
橋本 それに関しては、半々なところがあって。僕が沖縄に通うきっかけとなったのは『cocoon』という作品ですけど、『cocoon』が舞台化されたときに主人公のサンを演じた青柳いづみさんのことを取材するなかで感じたことがいくつもあるんです。青柳さんが舞台上で演じているのは、特定の誰かという「役」を演じているというだけではなくて、誰でもありうる「わたし」を演じているように感じるんですね。その姿を客席から何度も観た上で、じゃあ自分が原稿で何を書くかってことを考えたときに、文章でもそれに近いことを表現できないか、と。「旧・若松薬品」の回であれば、普通の新聞記事だと、「なお、×月×日にはこういうパフォーマンスが開催される予定だ」と締めくくるところだと思うんですけど、そうやってただ情報を書くだけじゃなくて、「どうしてそのパフォーマンスに行きたいと思うのか」というところまで伝えたいと思ったんです。連載しているあいだ、自分が街というものに対して感じていることや、店という存在に対して思っていることを誰かに手渡したいという気持ちがあったから、自分が「わたし」役として言葉を書くことで、誰かに何かが伝わっていくことに期待したいなと思ったんです。
宇田 それは、これまでとは変わったってことですか?
橋本 変わった部分もあるんだと思います。あと、『ドライブイン探訪』のときだと、ドライブインに対する思いみたいなところを言語化しすぎてしまうと、「昭和レトロを愛でる」みたいに受け取られてしまう可能性もあるなと思っていたので、そこを言語化するよりも、そこでずっと店を営んできた方の言葉と、その土地の歴史とを文章に配置するだけでもう、読んだ人に伝わるものがあるだろうと思っていたんです。それと、取材したドライブインは後継者がいないところも少なくなくて、もう自分の代で終わりだとおっしゃっている店主の方も多かったんですよね。だから、いつかはなくなってしまうものを、今のうちに記録しておきたいという気持ちが強くて。『市場界隈』のときも、建て替え工事が始まれば変わってしまう風景を記録したいという気持ちが大きかったんですけど、市場が建て替え工事に入っても、日々は続いていくわけですよね。そこで人の流れが大きく変わってしまっている状況を前に、自分は何を書くことができるのかってことを考えながら原稿を書いていたので、「ジャーナル」という感じが強くあったような気もします。
通う人は皆“まちぐゎーのひとびと”
宇田 刻々と状況が移り変わる中で書いているところに、今までとは違う臨場感があった気がします。じゃあ、橋本さんの気持ちを書いたというよりは、「こんなふうに考えてみたらどうですか」ってことを書いていたんですか。
橋本 もちろん自分が感じたことを文字にしてるんですけど、ただただ自分が感じたことを書き綴ったというより、自分の内側にある感覚の中から、「こんなふうに思うことってありませんか」という部分を選び出して書いた、ということですかね。「旧・若松薬品」の回であれば、あの場所でお店を創業されたおじいさまがいて、それを孫にあたる方が引き継いでいるわけです。「自分は小さい頃から祖父の店に遊びにきていて、もうお店は畳んでしまったけど、思い入れの詰まった場所だからギャラリーとして引き継いだ」――こういうストーリーであれば、空想でも描けることですよね。ただ、実際に話を伺ってみると、祖父がそこで働いていた姿はあんまり記憶に残っていなくて、記憶が薄いままその場所とのかかわりが断たれてしまうのは嫌だと思って、ギャラリーとして場所を引き継ぐことに決めた、というお話だったんです。それはとても印象的な話で、そんなふうに記憶を引き継ぐこともありえるんだなとハッとさせられたんですよね。その話を、「そんなふうに考える人もいるんですね」と他人事で済ませるんじゃなくて、「わたし」の話としてそれを書くにはどうすればいいのかってことを考えたときに、ああいう文章になったんでしょうね。「自分はこの場所に思い入れがあるから」という理由で何かを引き継ぐんじゃなくて、思い入れがなかった場所と、ふとした拍子に出会うことで、何かを引き継いでいくこともありうるんじゃないか、と。
宇田 思い入れがあるわけでもないのにっていうのは、橋本さん自身もそうですよね。『市場界隈』のときは、「思い入れがあるわけじゃない」ってことをもっと前面に出して――いや、本文中に具体的に書いてたわけではないと思うんですけど――すごく距離をとっていたというか、「自分は取材にきているだけだ」というスタンスを崩さなかったのが、今回は「ひょっとしたら自分もまちぐゎーのひとびとのひとりになっているのかもしれない」と書かれていました。
橋本 その一文に関しては、宇田さんがそう言ってくれたから書いたんです。アーケード協議会にアドバイザーとして関わっている社会学者の新雅史さんのことを、『まちぐゎーのひとびと』で取材したときに、「新さんのようにマチグヮーに通っている人も“まちぐゎーのひとびと”なんだとしたら、橋本さんもそのひとりだと思う」と言われて、ああ、たしかに、そうなるかと思ったんですよね。それは別に、通い始めて時間が経ったから自分も内側の人間になったみたいな話ではないですし、「思い入れがあるから取材しているのか?」と尋ねられたら、そもそも思い入れって何ですかと聞き返したくなるし、自分の思い入れと書くことは別の話だし――。
宇田 内側の人間かどうかっていうと、私自身も内側の人間なのかわからないですけど、内と外の境界がわからないのがまちぐゎーのいいところだと思うんです。コロナのときに、「外からやってくる人たちもまちぐゎーのひとびとだったんだな」とつくづく感じました。
なぜ街に出かけようと思うのか
宇田 コロナ禍になったことで、たとえば年に一回だけまちぐゎーに来るような人たちとも、街の変化を一緒に見ていたんだなと思うようになったんです。別に「変化を見よう」と思って通っているわけではなくても、「あそこの店、なくなったね」とか思いながら来ている人は皆、当事者とも言えるのかな、と。そんなふうに言えたら、まちぐゎーに足を運びやすくなる人もいるかもしれません。たとえば県外から引っ越してきたとして、まちぐゎーにどんなお店があるのかもわからないし、普段から鰹節を買うわけでもないし、常連さんしか市場の中には入れないんじゃないか――私も最初はそういうイメージがあったんです。でも、橋本さんは外から来ているのに、こんなふうにひとつひとつのお店と関わって、お客さんとしても通っていて。それを読むと、「あ、こんなふうに行けばいいんだ?」っていうのが読者にもわかると思うんです。だから、いっぱいいる「わたし」のひとりとして、橋本さんがこんなふうに動いている様子を読めるのはいいことだな、と。
橋本 これは一歩間違うと説教くさくなるなと思って、自分でも気をつけてるところはあるんですけど、「僕はこういうふうに感じるんですけど、そういう感覚になることってありませんか」みたいなことを届けたいって気持ちは、『市場界隈』のときより強くなったような気もしていて。今、「観光地ぶらり」って連載をやっているのも、そういう気持ちがあるからなんです。観光に出かけて、もちろんきれいな景色を眺めたり食べ歩きをしたりするのもたのしいけど、その土地の日常に触れて、そこで出会った誰かの言葉に耳を傾けて、その言葉を持ち帰るってことも大切なことだと思うんだけど、いかがでしょうか、と。自分は上の世代が書いた文章を通じて街をぶらつくたのしみを知ったので、それを次に手渡すってことも意識しないと途絶えてしまうなと思うようになったところもあるんです。
宇田 語り継ぐってところに対して、かなり自覚的になってますよね。「てる屋天ぷら」の回に、「誰かと言葉を交わすことを、わたしは求めている。そんな瞬間に期待して、わたしは街に出る」と書いていて――ここがすごいですね。
橋本 こうして読まれると、恥ずかしいですね。ただ、コロナ禍になったときに、人が移動しづらい状況が生まれて、人が密集する街っていう空間も危険視されて、閑散とした時期がありましたよね。僕は普段東京に暮らしていて、郊外ではなくまちなかに近い場所を選んで過ごしているんです。コロナ禍にまちぐゎーに通い続けるということは、街って何だろうと考えることにもなったんですよね。それともうひとつ、これまでいろんな土地に取材に出かけてきた人間として、「今はこういう状況になったので、しばらく近所で過ごします」という態度はとれないなと思ったんですよね。こういう状況になったからこそ、自分が暮らしている街の外側に取材に出かけなければ、と。
宇田 それは、言葉を聞くためにってことですか。
橋本 言葉を聞く以前に、その街を歩いて見ないことには始まらないんですよね。まちぐゎーの取材は、とにかくこの市場界隈を歩きまわって、今どんな変化が生まれているのか、どこがどんなふうに変わってきているのかを観察して、じゃあ今この時期に取材するならどこのお店がいいのかって考えていたんですよね。だから、足を運ばないことには何も始まらないな、と。
まちぐゎーで引き継がれていくもの
宇田 取り上げるお店も、『市場界隈』のとき以上に新しいお店が増えましたよね。『市場界隈』でも今回の本でも、老舗のお店のお話だと、「とにかく必死で働いてきた」っていうのが一番にくるじゃないですか。でも、最近新しく店を始めた人たちを取材した回を読むと、市場の歴史を学んだ上で、ここで何を引き継いでいくのかってことや、伝統を踏まえた上で新しいものを作るってことを語っていて、ちょっと驚いたんです。私が店を始めたときは、そんなことまで考えていませんでした。本屋だから、市場や那覇の歴史が書かれた本を売るという方向に自然になったんですけど。みなさんいろんな業種でありながら、「この場所の何かを受け継ぎたい」とか、「市場っていう場所のことをもっと知りたい」と語っていて、何がそうさせるんだろうと思いました。
橋本 そこに関しては、そういう話を聞かせてもらえそうなお店を選んだっていうのもあります。やっぱり、選ぶわけですよね。街がどんどん変わっていくのを目の当たりにしたときに、変わっていくことをどう捉えればいいのかってことも取材をしながら考えていたんです。市場の建て替えを機に閉店する高齢の店主もいれば、コロナ禍を機に閉店した高齢の店主もいて――ずっとそこにあったお店が閉店するのは、残念なことだとは思うんです。ただ、誰しも年をとるわけですし、店が次の代に引き継がれたとしても、先代は姿を消していくわけですよね。それはもう、避けようがないことで、悲観ばかりもしていられないんじゃないか、と。変わっていくのは仕方のないことだとして、どう変わっていくのかに意識を向けるべきなんじゃないかと思ったんです。移り変わっていくのは残念だけど、新しいものをすべて否定するのは嫌だな、と。新しくオープンするお店の中には、「MIYOSHI SOUR STAND」のように、「もともと三芳商店という果物屋さんがあった場所を引き継いで商売を始めるんだとしたら、県産フルーツを使った店を始めよう」と考える例もあって。取材するのであれば、そういうお店に話を聞きに行きたいなと思って、取材するお店を選んでましたね。
(後編に続く)