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センスについて
センスとは・・・
こういうこと書くから
出しゃばっているように見えるんだろうな、
ということを想像しつつも 胸を張って偉そうに「センス」について書いてみようと思う。
まず、白紙の辞書が「センス」に対して出した答えは
「消費者や投資家のセレクトしたい欲」などと棘のある答えが出た。
欲をセンスとは呼ばないだろうなと思うけど、そう答えを出した自身が疑問の塊であり、
ポジティブな何かに当たるところまで近づけることで、ソフトな自分に安堵したいと考えた。
まず「つくるセンスと、選ぶセンスは別」という感覚と
「プラダを着た悪魔」という映画がふっと浮かんだので そちらから掘ってみることにした。
するとたちまち「選ぶセンス」に「つくるセンス」が支えられている構図が浮かび上がり、
皆はここの経済を見ているのかと 自分の浅い考えに気づきが生じて、辞書をすぐさま修正かけたのです。
「センス」の相互関係がうまくいった暁に経済の渦が反応し、味方になるような感謝すら覚え、自身の納得を得ました。
がしかし
最初に出た答えになぜ棘があったのだろうと
そこも掘り下げたくなってきました。
そこには 私のトラウマ的な
経済が関係しない人間関係において「センス」を使う人への疑問
というのが浮かび上がってきたのです。
とある人間と友達であることへの資格があたかも「センス」であるかのような
君とは不釣り合いだと言わんばかりにそこに使用してくる『センス』はなんなのだろう。と
選ぶ感覚の強い人の特徴が、私のトラウマとなっていたことが浮き彫りになったのです。
お友達になるセンスとは?
あくまでも何かお互いに尊敬していればそれでいいのではないでしょうか。
などとそんな気がしたのです。
疲れたので
おわり