メンタル強い弱いについて
日常でメンタルを強弱で表現したりはしないだろうか。メンタルは心の状態という意味であるが、それに対して私は疑問があり、それをテーマにちょっとだけ書きたいと思う。
今まで日夜働かれて道を作った方々より恩恵をうけた、十分な自由と喜びを感じれる為の土台を有している人達、つまりこれを見ている知性ある皆さまと否定的な視点を持ちすぎす、色々考えていこうと思う。
私は強弱に対する表現は非常に複雑であると思ったりする。見方が社会的な観点と個人的な観点があることは否定できず、そこで面倒ではあるが前もって基本的な考えを共有したいと思う。メンタルを支える性格についてですが
私は、脳内物質のバランスが性格であるとイコールをつけたいと思っている。
なぜそういう前提かと説明すると 脳内物質のバランスが変わると五感による認識が大きく変わってくるからだ。
データ量が多く、処理が複雑になれば 不安を感じやすい子になったり、やる気物質の多い子は集中力が高くマイペースだったりする。神経質になったり臆病になったり、大胆になったり それによって性格が変わるわけだ。
それは個体のもつ脳内物質のバランスによってできたものであり、個体差が大きいのではないかと思う。
その脳内の状況が長年続くことにより、あらゆる状況に耐える力や、感じる力が年々育っていくものである。
時折疑問に思う事があるのは、メンタルの強さというのはその人の中に起こっている出来事を無視し社会に適応できるかという形で評価されるからである。
マインドがない人からするとメンタルがやられれば終わりという考えもあり、いらぬ心配をする人もいるが、「メンタル」は「やられる」ことがあっても「マインド」が「やられる」ことはないため、ゆえに不安定であっても、自分を鍛え上げることが可能なのである。
脳内物質の不安定さを弱さと捉えている人も多くいるように思うが、
特に本人は不安を感じることもない 例えばだが ネガティブケイパビリティやマインドを有していた場合メンタルは不安定ながらも、持ちこたえることが出来る場合があるのである。
さてはて、強弱の意味に当てはまっているだろうかと疑問になる。まずメンタルが弱いとは何かを調べるとこう書いてあった。
過去の失敗を思い出してネガティブになったり、将来を心配して不安になったりすること。
メンタルが強いとは何かを調べるとこう書いてあった。
今の状況に集中しており、過去や将来のことを想像しすぎて過度に暗い気持ちを膨らませないため、精神が乱れずに安定している。
極度な脳内物質に耐えうる不安定なメンタルを乗り越えるのは結局マインドだと言える。
それを幾度となく乗り越えてきた人を メンタル弱いねと私は言えないのです。
私には双極性障害を持つ天才と思われるお友達がいますが、私はその子を尊敬しており、そのメンタルを有して生きていることと、舵取りをしているその子はすごく強いと思っています。ゆえにメンタルの言葉のイメージと使い方に差を感じたりしてしまいます。
弱い強いという言葉には若干の抵抗がある私の考えでしたが皆様も言葉の違和感について考えるきっかけになればと思います。
以上。