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矛盾のある日常

この前書いた記事で湧いてきた
わたしの矛盾について
考えてみる。

おかーちゃんは
時間ギリギリで間に合うか?
間に合わないか?
ドキドキするのがイヤなの。

と言いながら

エイトが登校班に間に合うか?
間に合わないか?
それはおかーちゃんには
どーでもいーことなの。

イヤなのか?
どーでもいーのか?
どっちやねん?

どっちもじゃいっ🤨‼️

もうちょっと丁寧にいこうか。

「登校班に間に合うか?」
以前は
登校班の集合時間に間に合わない子の親
…である自分
が、嫌だったんだ。
母としての責務を全うしていないように
見られるんじゃないか?って。

ちゃんとした母じゃなきゃダメ
そう思ってた。

子供にルールを守らせることが出来る親
でなければならない
そう思っていた。

小学生は登校班の集合時間に
遅れてはいけない。
…強く強く
頭で考える以上に体に染み付いていた。

んでも、まず
ルールを守るか否かの判断を
わたしがしてしまったら
息子の判断力は
いつまで経っても養われない。

ルールを守るか否かの判断は
息子がすることであって
わたしは口出しすることじゃない。

何なら、息子が
「登校班に間に合わなくてもいいや。」
…そう考えるのだとしたら
その考えを尊重する。
まぁ、その前に
どうしてその判断に至ったのか?
くらいは聴きたいけどね。

…そういう考えかたをするほうに
わたしが変わったんだ。

もう…
毎朝息子を登校班に間に合わせる
「ちゃんとした母」を放棄した。

だって
登校班に間に合う息子も
登校班に間に合わない息子も
どっちもわたしの可愛い息子に変わりない
そんなごく当たり前のことに
気付いたから。

間に合わない日があったとして
誰かから非難されたか?
厳しく罰せられたか?

いや…。
心配されることはあったが
怒られたり
ましてや
35年前のわたし達のように
拳骨を喰らうことはない。

自分の
「思い出し怖い」「思い出し痛い」の呪いに
息子を巻き込む必要は無いし
わたしももう、いい加減
呪いから解放されて良いんだ。

しっかりルールを守ることで
拳骨から身を護った小学生の頃のわたしは
よくやった。
でも、もう、あの頃とは時代も違うし
わたしはとっくにおばさんだ😅
痛いこと、されることはもうないよ。
遅刻せず学校に行か「ねばならない」
もうバイバイ👋しよう。

その考えに至ったから
「どーでもいー」なのだよ。

さて、もうひとつ。
「時間ギリギリで間に合うか?」

ウチは諸事情により
息子は車で数分のところにある
わたしの実家の学区の小学校に通っている為
わたしが毎朝車で実家まで送り届けている。

息子を送り届けるのは
「わたしのやること」であり
わたしは更にその後
娘を幼稚園に送り届け
自分の時間を確保したい。

勿論、何らかの事情があれば
フレキシブルに対応するが

朝の支度をうっかり忘れて
youtubeに夢中になっている
…は
わたしの中では
「何らかの事情」には当てはまらない。

そのうっかりが原因で
スムーズに運べる日常がガタつき
あれやこれやと余計な手間がかかるのは
面倒くさいのだよ。

そう。
大事なことだから繰り返すけど

面倒くさいのだよ。

面倒くさいのは「イ」「ヤ」なのだよ!
(しつこい)

かーちゃんのワガママ
通させてもらってるよ‼️

その代わり
こっちだって
7:30までには車に乗り込みたい
って言っているのに
7:20過ぎても
着替えの途中でyoutube観ているキミ達を
(内心イラつきながらも)
きっとスパートかけて間に合わせてくれる
って信じて見守ってるでしょ?

今のところまだ
このイラつきまでは
手放せてないもんでね😅

でもって
7:30過ぎてもまだ
時間を気にせずのんびり過ごしていると
さ・す・が・に
面倒くさいのはイヤーっ💢
ってなるのよ‼️

あれ?
コレ、つらつら書いたけど
…矛盾が全然解決されてないやつじゃね?
(そもそも解決しようと思っていない疑惑)

件の記事を投稿してから
土日を挟んで
昨日は
アレコレ滞りつつも🤣
約束の時間を守って出発出来た。

きっとまた、子達は
うっかり時を忘れて
youtubeに釘付けになってしまうことも
あるだろう。
その時はまた
母はキレるだろうし
子達は逆ギレするだろう。

それが我が家の「日常💮」


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