コロナ禍に生きるということ
いま、猛烈に心がしんどい。新入社員だったあの頃に匹敵するかもしれないレベルで、会社へ行くのが億劫になっている。
なぜか?
新型コロナの影響をもろに受けているからに他ならない。
私が勤める会社は、多分聞けばああ~といわれるくらいの知名度はある。もちろんやりたい仕事ができるから入社を決めたわけなのだが、会社としての大きさと、安定性、給料の良さ、福利厚生の充実度も、大きな入社理由になっている。
ただし、うちはお客さんありきの商売なので、今回の新型コロナウイルス流行はかなりの打撃だった。緊急事態宣言前から徐々に影響を受けはじめ、発令中はまさに商売あがったり状態。私自身の業務も7~8割方飛んでしまい、ステイホームで出勤回数そのものが減っても、大して影響がないどころか、出勤してもやることない、みたいな期間もあった。いつも残業しすぎて上司に怒られるのに、残業しなさ過ぎて不安になるレベルだった。(労働環境が良くない件については触れないでいただきたい)
緊急事態宣言が明けてからしばらくは良かった。国内の感染者数も落ち着いたように見え、お客さんもだいぶ戻ってきたなあという感覚があった。完全に元に戻らないにしても、少しずつ自分の仕事も元に戻っていくだろうと思っていた。
が、現実は違った。
人々の活動が戻るということはすなわちウイルスの活動も活発になるということであって、それを証明するかのように、感染者数が増え続けたのは皆さまもご存知の通り。毎日毎日、朝の情報番組やワイドショーで伝えられ続ける感染者の数に嫌気がさしていた。そして、私の住む地方にもウイルスの脅威は例外なく迫った。
7月。職場で一人目の陽性者が発生。時間の問題だとは思っていたが、ついにその時は来た。たった一人ではあるけれど、そのたった一人のために、沢山の大人たちが大慌てで動き回らなければならなかった。消毒の手配にはじまり、消毒範囲の特定(陽性者が行った場所を重点的に対応しなければならない)、濃厚接触者はいるのか?近くで働いていたスタッフは感染していないのか?そして対外的な告知と対応の数々。先にお客さんありきの仕事と書いたように、感染者が出てしまったことを正直に、正確に伝えなければならなかった。時に心無い言葉が飛んでくることもあった。
その後も、日々PCR検査の報告は続々と上がってきた。陰性で済むことも勿論あったが、陽性の報告も確実に増え続けている。
つらい。コロナのせいでどれだけの仕事が増えたことか。
陰性で終わるにしても、誰かがPCR検査を受けるだけでも一大事なのだ。もし陽性だったとしたら、結果判明後すぐにやらなければならないことが沢山あって、その準備は陽性がわかってからでは遅すぎるから。でも、そのために人員が増えているわけでもなく、これまでの人数で、これまでの業務をこなしながら尚且つコロナの対応もやらなければいけない。でも増やしてはいけない残業時間。は?どう考えても理不尽じゃない??
それでも、私は明日も仕事に行く。だってOLだもの。大学の時の奨学金返さなきゃいけないから。生きていかなきゃいけないから。お金は稼がなきゃいけないから。このご時世にお仕事させてもらえて、お給料もいただけるだけで大変にありがたいことだと自分に言い聞かせて。
次の陽性者は自分かもしれない、という感覚が常にある。
私自身がどれだけ感染対策を講じていたって、職場で飛沫防止のアクリル板やビニールを張っていたって、個人の行動に制限をかけること、制御することは不可能なのだ。私1人だけではダメで、その場にいるひとりひとりの心がけが、唯一の、感染対策。
今、私と同じように、コロナのせいで大変な思いをしているすべての人へ。悪いのはコロナだから、自分を責めないようにしようね。私は時々、はぁ?まじキレそうなんですけど?と、頭の中で唱えながら仕事をしています。何かの授業で、問題を解決するためには、「自責」で捉えなければいけません、と教えてもらったことがあるんだけど、今回に限ってはマジで無理。コロナで起こっている事象を自責で捉えるとか頭沸いてんのか???
と、言いたいことは山ほどあるけど、口が悪くなってきたのでこの辺りでやめておきます。
最後に、医療の現場、最前線で働いてくださっているすべての皆様へ、感謝の意を表します。どうか少しでも早く、穏やかに過ごせる日が来るように祈っています。
私自身も、穏やかに過ごしたい。この非常事態を乗り越えて、またみんなで幸せに、日常を取り戻せる日を夢見て、つらいことをつらいと認めて、適度に責任転嫁しながら。
すこしぐらい我儘になったっていいじゃない。生きているだけで十分偉い。そう自分に言い聞かせて、明日もちゃんと働きます。