
HSPやINFJは「複数の視点の獲得が、心の安定につながる」ということを知ろう【家入一真の慧眼】
企業家の家入一真さんが、とあるYouTubeで「犯罪者の手記を読んで善悪の基準が覆された」といった旨を語られていた。
相手の視点に立ち背景を想像することで、犯罪者に対して「僕もその人も何も変わらない同じ人間だと感じる」と語っておられた。
包み隠さないスタンスの家入さんの勇気ある発言である。
もちろん家入さんは、犯罪には必ず被害者がいるわけで、「その点を配慮したうえで」という前提で話しておられたが「これが、新しい視点を獲得する方法なのかも?」とヒントを得られた。
さて先日である。
電車で移動中、赤色のスーツを着た金髪で短髪の男性が前の席に靴の底をつけると言う行儀悪い体勢で座り、スマホゲームに熱中しながら「やった!」などとひとり騒いでいた。二十歳前後くらいに映る若者だ。
周囲の人たちは怪訝な顔で「何、あの人!?」という感じで、眉をひそめている。
僕は最初、彼に嫌悪感を覚えたが、思考を停止させず彼の視点に立ち、どういう心理状態かを想像してみた。
あれだけ目立つ出で立ちということは、注目されたくてしかたないはずだ。
スマホゲームをしながらガッツポーズをとったり声を上げるということも、周囲へのアピールなのだろう。
寂しいのだ。
彼は寂しくてしかたない。
とにかく誰かに構ってほしい。
非行少年が人の注意を引きたくて、あえて顰蹙を買うような行動を取るのと同じ心理だ。
そういえば、大阪のあるディープなスポットでいつも金色のスーツを着て歩いているおじさんがいた。彼はいつもストロングゼロを片手に、街を練り歩き目立つところに腰を掛けて酒を飲んでいた。
彼もまた寂しくてしかたない人だった。誰も彼とは目を合わせようとしない。誰よりも目立つ彼は、街に存在しない人のように扱われていた。
切ないのは、承認欲求が高じて顰蹙を買うような行動を取るほど、一瞬注目を集められても人は離れていくので悪循環に陥っていく点だろう。
車内で目立とうと振る舞っていた金髪の彼に話を戻すと、最初は嫌悪感があったが「寂しくてしかたない人」と思えた瞬間、捉え方が変わった。
人間はみんな主観カメラで生きている。
だからこそ「理解しがたい」と思える人間の視点にあえて立ち、その背景を想像することで異なるカメラを取得できるかもしれない。
「自分とは、まるで無関係の人」「かけ離れた価値観を持つ人」と思い込んだ瞬間、人間の思考はストップする。
「俺はあいつを裁く権利があるし、石を投げてもいい」と本気で信じ込める人は、自分と相手が地続きの存在ということを失念している。ヘイターになる人ほど、一方的に優劣を決めて「俺にはあいつを裁く権利がある」と決めてかかる。
家入さんが口にされていた「僕もその人も何も変わらない同じ人間」という言葉とスタンスには、色々なヒントがある。
僕も歪な自己愛を持つ人間を、強烈に恨んでいた時期があったものの、自己愛者をテーマにkindle書籍を数冊書くことで「十分な愛情を得られずつながりも感じられない状態なのに『この世間の荒波の中で暮らせ』と命じられれば、自己愛を肥大化させてその鎧で武装することで、自分の心を守ろうとするのかもしれない」と腹落ちできた。
つまり僕と自己愛者は地続きで、いつ自分がそのように闇落ちするかわからない。
人の数だけ視点と解釈がある。
異なる視点の獲得は、きっとあなたの心を安定させる。
最も難易度が高いのは、あなたが「許せない」と思う人の視点に立って、あちら側から考えてみることだ。
心理的な葛藤を抱える生々しい時期にある人は避けた方がいいだろうが、ある程度「今、自分は少し心にゆとりがある」と思えた人は一度、試していただきたい。
人間は、見ているカメラによって感じ方も捉え方も大きく変わる生き物である。
中庸を知る人ほど、内側に複数のカメラを有しているし、その切り替え方を熟知しているのかもしれない。