学校は誰のため?
『ひきこもり先生』というドラマを見ていた。佐藤二朗さんが好きで、コメディかと思って見始めた。
舞台は中学校。佐藤二朗さんは、長年引きこもりをしていたが、ひょんなことで先生になるという役。
STEPルームという、不登校などの問題を抱えた生徒用のクラスの担当として、日々奮闘する姿に涙した。先生というより仲間と認識されていたからこそ、寄り添える気持ちがあるんだと感じた。
ドラマを通して見えてきたのは、不登校はその生徒だけの問題ではないということ。
実際は大人の都合や見栄の影響、ストレスの捌け口に子供がなっている場合もあるということ。
「こんなのおかしい」「嘘ばっかり」「気持ち悪い」と、大人の矛盾に気づいた子供たちに、問題を押し付けていないだろうか。
「気持ち悪い」と感じる場所に、なぜ行かせようとするのか。そもそも学校って、何のためにあるのだろう。
いろんなことを考えさせられた。
大人の人間関係や、世間体を気にする態度などが、巡りめぐって子供に影響を及ぼしている。ドラマの中ではそんなふうに描かれていた。
大人が悪い、なんて話じゃない。誰も悪くなんかない。「もっともっと、広い視野で見る必要があることなんだよ」と言われた気がした。
学校の先生に向けて言われたセリフが印象的。
「もう、諦めるのはやめませんか?」
「私たちのために、まずは大人が幸せになってよ!」
現実はどうだろう。
学校は、誰のためにあるのか。
笑顔でまっすぐ「子供のため」と答えられる大人は、どれだけいるだろうか。