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AIに書けない文章、について
生の体験、生の声。
これに勝るものはない、と近ごろ思います。
私は日常的に ChatGPT さんと懇意にさせていただいてます。
どれくらい懇意かと言うと、ChatGPTさんを使わない日がないくらい。
どのように使っているかと言うと、例えばこんな感じ。
![](https://assets.st-note.com/img/1714038762181-K0MtGwBsIt.jpg?width=1200)
私が通っているカレッジの授業で
「ワインと食事のペアリングをこんだけ考えてきて!」
と課題が出ると、
「はぁ〜ワインですか…飲めれば良くないですか?」
と思ってしまう私としては、食事とのペアリングなんてチンプンカンプンなわけです。
で、ChatGPTさんに「助けてよ〜!」
とお願いすると、
「あいよっ!」
と、いとも簡単にそれらしい答えを出してくれるのです。
こうやって(もちろんその答えをそのまま提出はしませんが)、
カレッジの課題をこなすのに大活躍なChatGPTさん。
率直に言って大好きです。
しかし。しかしです。
ChatGPT(すなわち生成AI)さんが苦手とするのは
「生の体験」「生の声」だと言うことを私は知っています。
AIはこれまでの人類の集合知ですが、
人間の感情を理解して表現することはできない、と私は思います。
人間だから迷う。
人間だから間違う。
人間だから不合理な行動もする。
24時間365日、疲れを知らずにアウトプットし続けられるAIではないから、
疲れたり、不機嫌になったりもする。
でも、「それが人間らしさ」だと思います。
生の人間が、生の体験を、生の声で語る。
それを受けとって共感したり、考えたりするのも、やっぱり生の人間です。
そういうところに、これからの時代のエッセイや小説の価値はあるのではないか、と思うんです。
手前味噌ですが、私の「生の声」の本もこちらにひっそり載せておきます。
一人でも多くの方に届きますように。