週一、渋谷の日。
ちゅうはやサロンに入ってみました。
サロンに入るのは初めて。ドキドキです。
今日は娘の習い事で小学校の後に渋谷に来る日。
駅を出て、スクランブル交差点をいつもの通りに渡ると相変わらずの凄い人。青になると一斉に人々が交差してぶつからず、振り向かずすれ違っているのを見ると、そこには実体なんてないんじゃないか、そんな錯覚をおこす。
子供が産まれてからは渋谷や原宿、都会にはあまり出てこれなくなった。娘は完全母乳だったし、凄い人見知りで他人と目があうと尋常じゃないくらい泣き叫ぶ子だったので連れて歩けるような状態ではなかった。
20代前半での出来婚で、周りの友達は海外にみんなと遊びに行ったり充実をした毎日を送っているように見え、キラキラ光るSNSばかりが目に入り、泣き叫ぶ赤ちゃんと、仕事で忙しく家に帰ってこないダンナさんを待ちながら孤独で心が穴だらけになった。
子供を産むとこんなに生活が変わるものなのかと…心構えは十分にしていたはずなのに、少しでも子供と離れたい、自分の時間が欲しいとそればかり考えていた。
当時、ちょっとした時間が出来ると無理をしてでも原宿渋谷に行きたいとダンナに無理を言って、たんまりオムツを抱え込んで3人で行っていた事がある。ファッションが大好きで、街の商品の移り変わりなどをチェック出来ないのが我慢出来なかったからだ。
無理をして、無理をして…都会に出て、子供にも家族にも負担だったと思う。
綺麗でまるで独身のような格好をしてベビーカーを押しているママを見るとちょっと切なくなる。私もきっとそう見られたかったのだろう。子供がいてもオシャレに気を使える余裕があるママに。
渋谷のスクランブル交差点はぶつかる事なくすれ違えるのは私たちにとっては日常のなんてことない風景で。でも異国の人達から見るこの光景は、どう見えるのだろうとふと考える。
もし、ぶつかりながら歩く人や、無秩序な動きをする人が現れたら、すれ違う人はそこで初めて実体を持ち、ぶつかってきた相手を認知するのだろう。
そんな危うい、当たり前で実体の無い日本の風景。
今はもう、都会に出れない事がそこまで嫌じゃない。むしろ東京から出たい願望の方が強い。
それは、去年長野の阿智村で見た星空だったり、いけはやさんのブログからだったり色々な要因があるのだけれど、自分の全うしたい事が東京で消耗しなくても出来る事だと分かったから。
繋がりの形が変わってきている。
最近のnoteの盛り上がりを見て、新世代へのワクワクが抑えきれないでいる。
なかなかアウトプットの方向に持っていけない性格なのだけれど、自分の見えている風景を変えるチャンスは最後かもしれないと、仕事を辞めて色々挑戦していきたい。
アクセ作りなどの手作業も好きなのだけれど、写真も好きで。カメラは私の原点。光と影。
子供写真館のカメラマンをしていたので、子供の写真も撮りたいのよね。もし、この先noteを有料記事を作るような事があったら機材代にあてたい…
やりたい事は尽きない。
でも、こんなふうに思えるのがとても幸せ。都会に依存しなくなった理由。
光に透ける髪の毛が、美しいと感じられる幸せ。
もっともっと、表現出来れば。。