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011 アイデアを生む、枠のアイデア

 こんばんは、シタシマです.ここ最近朝起きるのがつらくなってきました.

 先日マル秘展に行ってきたので、その感想をすこしだけ.noteのお題にもなっていることですしね.

 様々なデザイナーの原画が見られるということで、喜び勇んでいってきたわけですが「この人はしってるぜ」という方から、「このロゴこの人のデザインだったんか」という方まで、貴重な原画が大集合しておりました.実際に入って見ていくうちに、自分が「スケッチが描かれているモノ」に意識を向けながら見ていることに気が付きました.例えばそれはノートであることもあったし、手帳であることもありました.はたまた裏紙に書きなぐるような方もいたと思います.このように、デザイナーは自身の思考を書き留めるためのものにも気を使い、自分に合ったものを意識的に選んでいることがうかがえます.

 しかし、これこそデザインと人間の関係なのだと思わされました.デザインが人間を作るというか、そういうことです.例えば鈴木康広氏は、ツバメノートを300冊ほど並列で使用しています.これが展示されていたわけですが、こういった使い方によって自身のアイデアを時系列でなく、自由に見ることができるのだそう.「表紙から順番に使う」ように作られたノートを、自身の考え方によってその機能を開放する.鈴木氏の作品に見られる多視点的な要素の生まれる所以を、知ることができたように思います.このほかにも印象的だったのは松永真氏の手帳.オリジナル仕様だそうで、見開きの左右で、スケッチと文章を書き分ける.あまりにも膨大になるので、1年を半期ずつに分け、1年で2冊を消費しているそうです.このことにより、半年後に気持ちを新たにスタートできる.これも、手帳が2冊あるという枠組みの制約によってデザイナーの松永氏の行動を規定していますよね.
 このように、デザインは新たな当たり前を作るというか、人の日常を規定する大きな力があり、またデザイナーはそれらに意識的に自らをのせていくことで思考をアップデートしていることを強く感じる展示でした.

 これ冷静に考えたら当たり前の話だと思うのですが、意外と気が付きませんでした.
 建築も同じだと思います.人間を包むものですから、むしろプロダクトやグラフィック以上に、もっとつよく影響をおよぼしてしまうことすらありそうです.建築家が危機意識を持っていることの1つはこれなんじゃないかと思います.高断熱高気密の家とか、注文住宅とか、そういうものが人間に規定してしまうことへの抵抗が、あるのではないかと.新建築の論考『人間と建築』が記憶に新しいですが、これが書かれたこともこういった意識からのように感じます.読んでわかった気になってしまうのですが、ぼくには難しく、理解できていないところだらけの、だけどすごいテキストです.いずれnoteにしたいと思います.

 以上、デザインが人間に働きかける力ってすげーね、という話でした.『我々は人間なのか?』という書籍がありますが、まさしくこういったことについて書かれているものと思われます.まだ読んでおりませんので、読んでnoteに書けたらと思います.

 あ、あと書きそびれましたがキュレーターの新見隆氏のお弁当にまつわるテキストに深く感動しました.あれ書籍とかになってるんでしょうか.写真撮ってくればよかった...

ではまた.


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