定期的に自分に飽きるという習慣
定期的に、自分に飽きる。
自分は仕事もプライベートもあれこれ目標設定して生きる人。
「いつまでにこれをやる」とか、「レースでこういう結果を残す」とか、日付や順位など数字で分かる形で目標設定してます。それに向けて毎日何をするか考え、行動し、小さな目標も含め、日々クリアしながら生きる。
そんな自分に、定期的に飽きる。
日々過ごしていて、ある日突然「飽きた」という言葉が自分の頭の中に湧き上がる。
いつからだったか覚えてないけど、この2年くらいは自覚がある。
自分なりに原因を考えた。
自分に飽きた=今の行動や目標基準が自分にとって楽勝になった
RPGに例える。
貧弱主人公にとって、最初はスライムでさえ手ごわい。アイテム使ったり宿で休んでちょこちょこ回復しながらでないと、すぐ命の危機に瀕する。
それでも踏ん張って倒しているうちに突如レベルアップする。するとわずかだけどHPも増え、与えるダメージも増え、受けるダメージも減り、いくらか戦いが楽になる。少し余裕の生まれたところで、引き続き戦い続けて、またレベルアップする。レベルが上がるごとに回復する回数も減り、一撃で倒せたり、攻撃されてもダメージを受けないようなことになってくる。
痛くもかゆくも、攻撃している手ごたえもなくなってくる。
段々と楽勝になってくる。
でも、楽勝度合いに比例して、なかなかレベルアップもしなくなる。
もっと効率よくレベルを上げるために、ストーリーを進めてより手ごわいモンスターを追い求める。そしてそのモンスターとの闘いが楽勝になったら、
また、楽勝度合いが上がって、なかなかレベルアップしなくなる。
自分自身についてもこれが当てはまる。
仕事の場面で、リーダーがファシリテートしていた会議をある日突然バトンタッチされる。自分がファシリテートすることになる。3人以上の人前で話すのが苦手なので、当然緊張もするし不安もある。おどおどしながら始めることになる。事前に心の準備を万全にする。でも、余裕がないので、参加者の理解度とか集中度合とか情報をキャッチできない。進行に手一杯な自分の緊張感も広めてしまう。上手くファシリテートできたかどうか以前に、会議が体をなしていたかどうかのレベル。
最初はそうでも、繰り返しているうちに、段々慣れてくる。
まず緊張しなくなる。事前に心の準備なんて考えなくなる。
この時点で少しレベルが上がったことを自分で感じる。
顔を上げて、誰かが話している時には他の人を見渡して、腹落ちしているのか、分からない箇所があるのか様子を伺うことができるようになる。そこに対してフォローを入れることができるようになる。
この時点で少しレベルが上がったことを自分で感じる。
こうして、ファシリテートすること自体、痛くもかゆくもなくなってくる。
楽勝になる。そして、飽きる。
飽きた時、2つの選択肢がある。
楽勝のまま続けるか。楽勝から抜け出すか。
自分は楽勝から抜け出す選択肢をお勧めする。
楽勝は順風満帆で、余裕で、無意識でやれることだけど、
そこに達成感はないし、充実感はないし、まさに痛くもかゆくもなくて無感覚だし、面白さを感じないから。
ファシリテートを例にすれば、質問の仕方を追求すればいいし、導入から締めまでに流れる全体の空気感をコントロールできるようになればいい。自分のファシリテートのスタイルに限界があるなら、別の側面を生み出せる参加者の力を借りることを覚えればいい。会議の参加者が最高に想像力を発揮して、創造的な場を生み出すことを追求すれば、やれることに終わりはない。
楽勝から抜け出せば、ワンランク上の自分のステージが待っている。
楽じゃないし悩む。苦しいことも辛いこともあるけれど、見返りに多くの経験値が得られる。充実感や達成感もついてくる。
楽勝に身を浸す時があっても良い。
緊張し続けることは自分を疲弊させるし、自分の生活全てにおいて苦しさを感じてしまうと八方塞がりになる。「逃げる」という選択肢は残しておいた方がいい。
楽勝のまま続けるか。楽勝から抜け出すか。
どちらにせよ、覚えておきたいのは、「飽きる」という感覚がやってきた時が、それを考えるタイミングであること。
飽きることは、楽勝到達のお知らせであること。
「自分に飽きた=今の行動や目標基準が自分にとって楽勝になった」ということであること。
自分の中に「飽き」がやってきた時は、一度立ち止まり、「飽き」に向き合うことで、自分が次に進むべきステージが見えてくる。
同じステージで足踏みをしても良いし、次のステージに上がっても良い。
全ては自分次第だが、自分は自分にとってワクワクする方をいつも選ぶ。
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「『ゲームに飽きた』って言うんですけど、これは違うんですよ。ゲームに飽きたんじゃない、成長しないことに飽きたんです」ー梅原大吾ー