禁忌の卵チャーハンと屈原のちまき
特定の日に特定の料理を作ったり食べたりしてはならない、というルールや慣習が出来たらクッソ面倒だと思います。
そんなことあるわけない、好きなものをいつでも食べられるじゃないか、と誰もが思うでしょう。
お金や時間があれば何だっていつでも食べられるのが当然、と感じるのは現代日本人だからこそかも知れません。
しかし、日本がそうなったのも結構最近の話で、一昔とは言わず三昔前くらいの頃は、まだコンビニの数も少なく、スーパーも正月に開いているお店はあまりありませんでした。
では正月、特に元日はどうするのかというと、火を使わずに食べられる「おせち料理」を前もって各家庭で作っておいて、それを食べるものでした。
実際には、餅を焼いてお雑煮に入れたり、あるいは前もって買っておいた肉なり魚なり野菜なりを使っていくらでも料理は出来ていましたが、おせち料理の起源的には、火を司る神様に感謝の念を込め、かつ火のありがたみを感じるために正月は火を使って料理をすることを控えるものでした。また、商店街やスーパーも正月休みを取るのが当然でした。
これは伝統や慣習により、特定の日(正月)に特定の料理(火を使うもの)を食べない、というものですが、現代中国では全く違う経緯で禁忌の料理があります。
少し前の記事ですが、朝鮮戦争中に毛沢東の長男が死亡した攻撃を卵チャーハンの料理時の煙で誘引したという、本当かどうか分からない伝説に関連して、その死亡した日あたりに卵チャーハンを作ったり食べたりすることを現代中国社会では問題になるという話です。
特に法律で禁止されているわけではないのですが、そもそも中国はまともな法治国家ではありませんし、少なくともSNS上で極右系のユーザーからは猛烈に批判されます。
ただ、これが話題になったことで、この伝説の経緯と理不尽な批判がむしろ全世界に広まってしまいました。来年の10月24日には、中国に批判的な人たちが一斉に卵チャーハンを作って食べるネットミームが流行するんじゃないでしょうか?
中国の伝説で、亡くなった人と特定の食べ物というと、屈原という古代中国戦国時代の楚という国の宰相だった人と、ちまき(粽)の関係性を思い出します。
屈原は大国である楚の名門に生まれ、文学にも天賦の才を発揮しながら、宰相としても尽力しましたが、台頭する秦の圧力や国内の反対勢力に抗せず、宰相の任を解かれて失意の中、母国の将来を悲観して、汨羅という川で入水自殺しました。
その後、民衆に慕われていたこともあり、その無念の魂を慰めるために人々が粽を作って川に投げ入れる習慣が出来たそうです。
いっそのこと、中国政府が大々的に10月24日に卵チャーハンを作るよう推奨すれば、中国政府を煽る気持ちが一気に冷め、むしろ卵チャーハン問題は鎮静化するんじゃないですかね。