コロナ後の社会はパラダイムシフトが起きるか起きないか
MOOCと呼ばれるネット上で受講可能な講義システムによって、
「これからは世界の有名大学の講義をネット経由でどこでも受けられるようになる。日本のローカルな大学は潰れる」
といった過激な文言もかつては聞かれましたが、いざ、このコロナ禍によって大学がオンラインばかりになると、
「オンラインだけではダメだ」
という至極真っ当な悩みが、学生からも指導側からも出てきました。
そもそも、「MOOCだけでオールオッケー」なんて大学関係者が言うはずもないので、この2つの文言を対比させてもしょうがないのですが、結局のところオンライン講義だけでは学部生レベルであっても学問が完結するわけありません。
言い換えると、有名大学にいる優れた教授の素晴らしい講義をオンラインで世界中で受講出来るのは、非常にありがたいことなのでしょうけれど、大学の価値はそこだけにあるのではないということです。
MOOCに限らず、新しいもの、新しい仕組みが生まれたらこれで世界が変わる、ということは誰もが思うことです。多分私もさんざんこれまでnoteでも書いてきたと思いますが、世の中ってそんなあっさり一変することなんてありません。
コロナ禍は世界を大きく変えたと言えば変えました。しかし収束したら、それなりに揺り戻しがあるはずです。
全社的なテレワークによってどのように影響があったか、という論文をMicrosoftが研究成果としてまとめて出しましたが、世界の先端を行くソフトウェア企業であっても、テレワーク100%は難しいものです。小さな企業であればまた違うのでしょうけれど、コロナ後の社会はテレワーク・遠隔授業はまた減るでしょう。多少の融通が利くくらいになるはずです。
多様な働き方、学び方が出来るようになるのであれば、このパラダイムシフトが固定化されたと言えるでしょうけれど、結局また誰もが満員電車や渋滞に苦しみながら通勤通学する時代に戻るとしたら、それはそれで喉元過ぎれば何とやら、何も変わらないことになってしまいます。
冒頭の大学講義の話で言えば、講義だけはオンライン可能、実習・演習・ゼミなどのみ出席必須、という使い分けもあり得るはずです。実際にコロナ後にそれを大学や文科省が認めるかどうか知りませんが。
職場にしてもフルリモートとフル出勤のどちらかという、0か1かの二択ではなくて、もっとまだらな、ファジーな部署や日によっての選択が出来るようになれば、ちょっとは通勤ラッシュも緩和されるでしょう。
無理していたこと、無理がたたって被害が出ていたところが、コロナ後の社会で良くなっていることを祈ります。
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