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不老不死になりたいか? 不老不死にさせたいか?

ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」では、一部の人間がテクノロジーの進歩によって老化や死を乗り越えて行き続けることが出来るようになる、と述べられています。

ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス」
http://www.kawade.co.jp/homo-deus/

本当にそのような時代が来るのか浅学にて分かりませんが、新型コロナウイルスへの対処にほぼ全ての先進国が苦慮しているのを見る限り、少なくとも現時点ではまだまだ不老不死の時代は来なさそうです。

上述の本を読んでいてそもそも論として思ったのですが、不老不死になりたいと思う人ってどれくらいいるのでしょうか? 富も権力も持っている人は皆、不老不死への人体改造を望むのでしょうか?

当たり前ですが、人間は生まれてきたときには不老不死ではありません。テクノロジーが進歩したといっても、不老不死になるにはどこかのタイミングで何らかの形での手術なり投薬なりが必要です。

その、「人間を加工」した時点でルックスが固定されて、永遠の生命を生き続けるというのは、本当に人間にとっての念願なのでしょうか?

個人的には天国と言うよりもむしろ地獄のような人生になりそうな気もします。

世の中全ての人が不老不死になるわけではありませんし、全ての人がそうなることを求めるわけでもないでしょうし、そもそも全員が不老不死になり、さらに生殖機能も保ったままならあっという間に人口爆発で食糧危機、次いで住む場所やあらゆる物資が不足してしまいます。一部の人間だけが不老不死になるとしても、周りの不老不死ではない人間と上手くやっていけるとは思えません。

永遠に生きるということは永遠に死ぬということと同義でしょう。

死なない・老いないというのは個人的にはあまり羨ましくない、と思うのは私だけでしょうか?

あくまで想像ですが、日本人的にはそう変ではない考え方ではないかと思います。生まれて死ぬ、というサイクルは全ての生物に共通するものであり、仏教的な輪廻転生の考え方とも合致します。人魚の肉を食べて不老長寿になった八百比丘尼が出家したという話は、不老長寿が幸福感をもたらすものではないことも表しています。

ただ、少し考えを進めて、自分が不老不死になることは選択できても選択しないとして、自分にとって大切な人を不老不死にすることが出来る、という仮想条件を想定してみるとどうでしょうか?

もし自分が、自分も含めて誰にでも不老不死の能力を与えられる力を持っていたら、誰にも与えず、自分にも使わずそのまま死ねるでしょうか?

自分はいいけど大切な人が病気で苦しみ老いていくのを黙って見続けることが出来るでしょうか?

こう考えると、不老不死の研究を進めること、不老不死の技術を求める人をあまり馬鹿に出来ない気もします。

もちろん、他人から不老不死を与えられた人が幸せになるとは限らないということは変わりませんが。

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