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情報に付加価値を付けた過去、情報を減らしていく未来

日本で言う消費税は、外国では付加価値税という名前が付いていることが多いです。

「消費」税というと、消費者が払うようなイメージにもなってしまいますが、現実には消費者だけではなくて、売る側もそれを仕入れたときに消費税を卸業者や生産者やメーカーに対して払っています。売値と買値の消費税の差額分だけ納税するので、そういう意味では「付加価値」を付けた分に対する税金として「付加価値税」という名前の方が性質をよく言い表しています。

人から人に物が渡る度に付加価値が付いていくということが、資本主義の真髄でしょうか。少なくとも、生産者から消費者までの間に価値が全く変わらなければ、余剰生産物を作るインセンティブは発生しません。

そして20世紀から21世紀に入り、「情報」が爆発的に量を増やし続ける時代になりました。

情報も人から人に渡る度に付加価値が付いていきます。もちろん最終消費者に渡ればそれで終わりですが、他者の研究をさらに発展させたり、あるいは反論したりするのを思えば分かりやすいでしょうか。

このnoteのような、大して社会に影響を与えないブログでも、過去に得た情報のインプットを経て形を変えてアウトプットされてまた他人に渡っていきます。

歴史的には情報は増えていくことに価値があり、実際に増え続けていました。近代以降、印刷技術の普及、配達技術の進歩、情報伝達技術の進化、コンピュータの発明、そしてインターネットの普及によって、情報は誰でも付加価値を付けてばらまくことが容易になりました。

100%のコピーそのものなら情報は何も増えていないじゃないか、と思うかも知れません。Twitterで誰かのツイートをリツイートするだけでは大元のツイートには変化はありませんが、「リツイートした」という情報が新たに付加されています。それに大きな意味があるかどうかはまた別ですが、前澤前社長のツイートをリツイートするのが無名な一般人かイーロン・マスクかでは社会的な影響力は大きく異なります。

コンピュータとインターネットの登場で、有史以来の情報の量が年々等比級数的に増加する時代になり、情報が少なくて困ることよりも多すぎて困るという前代未聞の悩みを人類は抱えるようになりました。

上場企業が運営するキュレーションメディアも、アフィリエイト狙いで露骨に広告を貼りまくっている各種まとめサイトも、コピーと加工でさらに情報を大量生産しています。

こうなると、情報を減らすことに価値が出てくる時代になるかも知れません。少なくとも、大量の情報から必要な情報を抜き出すのは技術と言えます。

少なくともウェブリテラシー教育としては、検索方法、炎上回避などと並んで、莫大かつ価値が高くない情報に埋もれている、本当に必要な価値ある情報を見つけ出して自分の中に取り込むノウハウを教えるのも必要だと思います。

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