支持政党無しの意味と、内部批判の重要性

共同通信の調査における自民党の支持率が急落し、過去最低になった模様です。自民党の支持率と内閣支持率には一定の相関性があるのでしょうけれど、今回は内閣ではなく自民党ということで、安倍派を始めとする派閥ぐるみの不正政治資金問題が強烈に影響している模様です。

とは言え、じゃあ自民党以外の政党の支持率が上昇したのかというとそういう訳でもなく、ただ単に政治不信が拡大して支持政党無しが増えただけの話です。

ただ、個人的には「支持政党無しイコール政治に無関心」ではないと思っています。

支持政党無しの人は、選挙時には浮動票扱いされ、その投票が政権を左右しますが、そもそも、その時その時ごとに政治に対して評価を下して投票先を決める「支持政党無し」こそが重要なんじゃないでしょうか。

逆に言うと、支持政党ありの人はその支持政党が問題を起こした時でも離れないわけで、それはその政党の自浄作用を阻害していることにならないでしょうか?

もちろん、内部にあってその問題に対して批判する人は必要で、そういう言動をとっているのであれば、支持政党があってしかるべきだと思いますが、何も考えずにとにかくひたすら特定の政党、あるいは政治家個人を何があっても支持し続けるのは、政治ではなくカルト宗教でしょう。

だいたい、人間なんて別の人間と100%あらゆる分野において意見が一致することはありません。何かしらは意見の違いや衝突があれど、より重要な点について考えが一致するからこそ付き合えます。それは個々人の人間関係だけではなく政治についても同じです。

というよりも、政治とは何か、と聞かれたら「妥協」そのものだと私は答えます。意見をぶつけ合うのは良いとしても、どこかで何かを重視して妥協することで人間社会は成り立ちます。ただひたすら争い続けるのは政治ではなく戦争でしょう。

政治家が政党を組むのも同じことです。細かいところでは意見が合わないけれど、より大きな問題、大義においては一致する人たちが大同小異で集まるのが政党です。

投票するのも同じこと。細かい政策には不満があれど、この政治家、この政党がより重視する点においては納得が出来る人や政党に投票するのです。特定の政党や政治家の言うこと全てを起き上がりこぼしのようにウンウンうなずいて認めてしまうのは、有権者ではなく信奉者です。

例え自分が投票した政党や政治家であっても批判的にみるべきであり、直接にしろ間接にしろ、すわ何かあれば反論や反対の意見を出すべきです。それでこそ自浄作用が働きます。

政治家も政党に参加したとしてもその政党の100パーセント言いなりになるのではなく、内部で批判の声を上げるべきであり、この点に関して「だけ」は自民党は最も優れています。他の点は知りません。

逆に自民党以外は内部批判というのはあまりありません。一時期の民主党はありましたが。

ちょうど先日、日本共産党のトップが入れ替わりましたが、その初日でいきなり民主集中制が必要な共産党らしいしぐさを見せたのはまさに悪い意味で共産党の真骨頂でした。

共産党はもちろん、維新やれいわなどもこの点は明らかに自民党に劣ります。

岸田総裁の派閥解消に関する発言がどれだけ信憑性があるか分かりませんが、総裁の発言に対して反発し、派閥解消を骨抜きにしようとしている議員が早くも出ていることは、良くも悪くも自民党らしさを表しています。支持率には影響しないでしょうけれど。

ともかく、国政選挙も統一地方選も無い年の支持率にはあまり意味はありません。ただ単に批判の種が増えただけです。
ただ、今年は自民党総裁選がありますので、そこでの影響はあるでしょうが、安倍派が瓦解して、なおかつ各派閥がグチャグチャになっていれば、岸田総裁の再選がより容易になるはずで、昨今の永田町の動きは岸田首相の思惑から大きくは外れていないのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?