英雄なんていない
リベラル派の人たちは、現状の権力、政権や既得権益などを否定するために、その対抗馬となる人を称賛し英雄視します。一方で反リベラル・保守的な人は、現状を是認したり過去を栄光視するために、これまた誰かを英雄扱いします。
誰かを英雄視して論を組み立てると、その誰かにマイナス面が出てきたときに面倒です。反対派に批判のネタを与えることになりますし、そのマイナス面や人物を無理やり擁護しようとすると、今度は味方の内で反対者が出てしまい、結局組織自体が分断されてしまいます。
また、その「英雄」がやることなすこと言うこと全て正しいとも限りません。誤り・過ちや過激さなどを放置して、批判も糾弾無しに盲従していけば、行き着く先はカルト宗教になってしまいます。
さて、最近、ニューヨークのクオモ州知事が、高齢者施設での死者数を隠蔽していたという批判が出てきました。感染者の施設での療養対応を選択したことと合わせて、いろいろ保守系・中立系メディアから叩かれ始めました。
状況や事情なども考慮すると苦渋の決断になった部分もあるでしょうから、悪魔のような非難はさすがに無理ですが、そうは言っても昨年の一時期のような、トランプよりも大統領にふさわしい!という過剰な持ち上げ方の反動が来てしまうのはある意味仕方ないでしょうね。
ニューヨーク市長とはずっとやり合っていましたし、演説が素晴らしいからと言ってあまりにも褒めすぎだと思ったので、
スピーチが絶賛されたニューヨーク州のクオモ知事ですが、結果的にニューヨークは大変な自体になってしまいました。こういった医療崩壊と被害の大きさの責任追及はされないんでしょうかね。
もちろん、知事に出来ることは限られますし、知事一人の責任にしてしまうのはアンフェアかも知れませんが、演説の上手さだけで評価するというのもアンフェアでしょう。
こんなことをかつて書きましたが、演説で成功する人がいれば当然、失敗する人だっています。ほら、日本でも。
本来の仕事の中身に関する能力と、演説の上手さとはどれくらいの相関関係があるのでしょうか? 能力がある人、演説が上手い人をどのように適材適所で使っていけばいいのでしょうあ?
良くあるジョークに、
有能な怠け者は指揮官に
有能な働き者は参謀に
無能な怠け者は連絡将校に
無能な働き者は銃殺せよ
というものがありますが、演説の上手い下手の場合はどうなるでしょう。
有能で演説下手な者は参謀に
有能で演説上手な者は外交官に
無能で演説下手な者は内勤業務に
無能で演説上手な者は……なんですかね。スポークスマンと言ってしまうとスポークスマンを全て敵に回してしまいます。少なくとも、あまり人の上には立たない方が良いと思いますが。
別にクオモ知事を無能とは思いませんよ。無能だったらニューヨーク州知事なんて要職には就けないでしょうし。
さて、クオモ知事ばかり批判するのもどうかと思いますが、かといって同じレベルでその逆側に位置する人を批判するのも難しいです。批判しづらいということではなくて、もっと強いレベルで批判しないといけないかも知れません。
トランプ前大統領は、今は目立つ行動はしていません。自身の弾劾裁判については批判していますが、それくらいです。
あの議事堂襲撃事件にどれくらい責任があるかは、人によって解釈が異なるでしょうけれど、少なくとも法的な責任の位置はどうあれ、倫理的には煽りまくった責任はあると思うのですが、本人も支持者もそうは思っていないようです。
本当に偉大な指導者であるのなら、暴動を煽らずに鎮静化させるでしょうし、暴れる支持者の前面に立って命懸けで止めようとしているはずなんですけれどね。
過激な支持者の代表格の人たちは、なんか知りませんがこんな理屈を信じているらしいです。
Qアノンの次の予言「3月4日にトランプは正統な大統領になる」を信じて待つ信者たち
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/02/q34.php
小説家にでもなった方が良いんじゃないかというくらい、超絶に想像力が達者なようですが、この理屈だとそもそも、前の大統領選挙でトランプが当選したこともフェイクだったんですかね。トランプ在任期間中にもこういうことを主張して、トランプが当選した選挙だって無効だ!と言い続けていたのなら首尾一貫したものと思うのですが、言ってなかったですよね?
ともかく、主義や思想を体現する人として旗印にするために特定の個人を持ち上げ称賛し崇拝してしまうと、その人にトラブルやスキャンダルが出た時ににっちもさっちもいかなくなります。英雄を担ぎ上げるとメリットもありますが、デメリットも相当にあることは覚悟しておくべきでしょう。
当然これは逆もまた真なりで、相手方のトップになっている人物などを過剰に異常な非難をしてしまうと、もっと非難すべきヤバい人物が出てきたときに言葉が足りなくなってしまいます。
称賛も非難も、英雄視も悪魔認定も、過ぎたるは猶及ばざるが如しという格言を頭に留めながらした方がいいでしょうね。