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自動生成AIに任せることと任せないこと

自動で絵を生成してくれるmidjouneyが話題になったと思ったら、また今度は完全無料で生成するAIというStable Diffusionというサービスがオープンソースとして公開されました。

自分でPCに環境を構築しないといけないので、有料のmidjouneyと結構上手く棲み分けられそうな気がしますが、どちらにせよ細部までこだわらない、タッチにを気にしない用途であれば、これらのサービスを使った絵で個人用途でも法人用途でも賄えるようになりそうです。

日本ではそれより前から、いらすとやというビッグウェーブによって、イラスト業界がレッドオーシャン化していますので、今回の画像自動生成AIサービスが初めてのビッグインパクトというわけではないにしても、
・いらすとや
・midjouney
・Stable Diffusion
の3つを使って簡単な漫画を作成するくらいのことまでは、その漫画自体の質を問わなければ、全く絵心がない人でも出来る時代になってしまいました。

もちろん、漫画家、特にプロとしての漫画家の仕事が無くなるなんてことは思っていませんが、漫画家でもこれらのサービスを使って、仕事量のショートカットをする人は出てくるでしょうね。その時に非難されるか、上手くやったなと思われるか。どっちかというと前者のような気がします。

しかし昔の話をすると、スクリーントーンの出現によって手書きで同様の表現をしなくなったのですし、背景を描くためのアシスタントを雇う漫画家(事務所)は珍しくありません。いずれは商業誌に掲載される漫画でも自動生成画像が使われ始めるでしょう。

テキスト・文章はもっと早くに自動生成するAIが生まれています。まさか小説家がそういう自動文章作成サービスを使って書いていることはないと思いますが、AIが作成したショートショートでコンテストに応募したというニュースは以前見たことがあります。

二次元上の表現は、文字にしろ絵にしろ最初から最後まで人間が逐一作成しなくても良い時代になりそうです。それが良いかどうかは人によって評価が分かれるでしょうけれど、人間がすることとコンピュータがすることが分業関係になっていくのでしょう。

そもそも、産業革命以降、機械が得意なことは機械に任せることによって産業はおろか人類の文化・社会・経済が急速な勢いで発展してきました。アナログな機械に任せるのは良くて、デジタルなコンピュータに任せるのは良くない、という理屈も変な話です。

人間が機械に任せている作業と同じくらい、創作物に関してAIに任せるようになるということは、AIにインプットする作業が人間に残される作業ということになります。

0を1にするのが人間で、1を100にするのはコンピュータという分業になるのであれば、1を生み出すための人間の仕事となり、それに向いた教育・学習・訓練が数十年後には当然になるはずです。

いわば、思考や行動という概念を無機物で割って、答え(=「商」)が生産物・創造物となり、残ったもの(=「余り」)が「人間らしさ」です。

案外、なんでもスパッと割り切れてしまい、余りがないことの方が多くなるかも知れませんが、それはそれで人間のすることなんてそんなに大したものではないということでしょうね。

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