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「無事之名馬」が「無事之AI」になる時代?

「無事之名馬(ぶじこれめいば)」という言葉があります。競馬好きで芥川賞・直木賞を創設した作家の菊池寛の言葉・・・ではなくて実は最初に書いたのは記者だったともあります。

それはともかく、もっと昔からある言葉のような気がしていましたが、20世紀に入ってから、まだ100年も経っていない格言です。人口に膾炙していることを考えると、競馬界だけではなく一般的にも使いやすくイメージもたやすい言葉であると言えるでしょう。

個人的には社会人になってからしばしば思い出す言葉となりました。部活動などは別として、学生である間は体調を崩したりして休むとしても、休んで迷惑がかかるのは休んだ本人だけです。

社会人になると、仕事が毎日一日限りで終わる人の方が少ないでしょう。また、自分一人だけで完結するような仕事もあまりないでしょう。そうなると、休んだ場合に本人だけでなく同僚や取引先にも迷惑をかけてしまいます。

もちろん、そうならないように一つの業務を分け合い、誰かが休んでも回っていくようにするのが会社組織としてはあるべき姿でしょうけれど、それが出来る企業も日本ではまだまだ少ないのではないでしょうか。

休まずに働き続けられる、という意味合いから、「無事之名馬」という言葉が一般社会でも浸透していったのは、戦後日本のサラリーマン意識も影響していると思います。

休みたくとも休めないブラック企業批判も現在では強いです。今後は、在宅勤務も可能な企業も増えていき、「無事之名馬」のイメージも変わっていくかも知れませんね。

さて、これは現在までの話ですが、では未来はどうなるかというと、頑健な人間以上に休まず働き続けられるAIの存在が出てきます。なにせ電気さえあれば24時間365日業務してくれます。まさに、無事之名馬の究極形と言えます。ほとんど全ての従業員はAIに駆逐されるのでしょうか?

ただ、AIやそれを搭載したロボットは電気がないと動きません。もちろん、太陽光発電や予備バッテリーなどで電力供給を複数系統用意して冗長性を持たせていればある程度は持つでしょう。しかし、それも限界が来るでしょうし、電気供給以外の理由、例えばネット回線の遮断やハードウェアの故障などもAIが使用不可になる原因としてはあり得ます。

いざという時の備えを考えるのであれば、業務遂行のための系統をAIと人間の2つを抱えるか、というとそれはそれで平時に無駄が発生します。

ではどうするか?

破滅的な災害や障害でも起きない限り、全ての企業でAIが使えなくなる、ということなど起こらないでしょうから、AIにしろ生身の人間にしろ、リソースを全て一社で丸抱えするのではなく、必要なときに必要な企業だけが集中してリソースを使えるような協業体制を整えるようになるのではないでしょうか。

イメージ的には共済や講のような人材バンク的なものですかね。

専門性が高く、すぐに習得できない業務については人員の余裕を作っておいて、それ以外の分野はAI、いざという時には人材バンクから急遽人を派遣してもらう、というシステムにすれば、人件費をAIに頼ってギリギリまで抑えつつ、緊急事態にもなんとか耐えられるでしょう。

ただ、それが生身の人間達にとっての理想的な未来になるかどうかは分かりませんが・・・。

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