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悪事は十年かけて広まる

権力は腐敗します。そしてその腐敗は時間が経てば経つほど進みます。

そのため、多くの民主国家では元首や最高権力者の多選禁止や年数制限を設けています。

例えばアメリカ合衆国では2期8年。例外は第二次世界大戦中のフランクリン・ルーズベルトのみです。

フランス大統領はコロコロ変わりましたが、今では2期10年に制限されています。

同じ立憲君主制国家である日本とイギリスでは首相の任期制限はありませんが、共に選出してくれる政党の支持が必要ということもあり、10年を超えるような長期間の在任は事実上難しくなっています。

フランスとイギリスの間のような制度のドイツでは、大統領はいるものの儀礼的な存在ですから連邦議会での指名を受けた首相が最高権力者となります。これも制限はありませんが昨今のメルケル首相の権力・権威の低下を見るにやはり10年くらいがほどよい期間だったのではないかとも思えます。

以前にも取り上げたことがある、私の好きな春秋左氏伝にはこんなくだりがあります。


当時は大規模な戦争がしばらく無く、各国に融和ムードが広がっていました。
そんな中、楚という南方の大国に後継ぎの親類を殺して即位した王がいました。
当然ながらそんな王ですから、周辺の小国を併呑し傲慢な態度で諸外国にも接します。
自国で開催した国際会議に置いても傲慢であり続けた様子を見た、鄭と宋という中規模の国の優れた大臣(鄭の子産、宋の向戌)がこのように話をします。

鄭の子産が宋の向戌に向かって
「私はもう楚を心配(恐れ)しない。威張り散らして部下の諫言を聞かない。十年も保たないだろう」
と言うと、向戌はこう言った。
「その通り。十年は威張らないと悪は広がらない。悪が広がってしまえば後は見捨てられるだけだ。善も同じで時間をかけて徳が広がれば、後は繁栄するものだから」

正しいことをやっているような権力者でも時間が経てば上手く行かなくなり腐敗するものです。かといって、最初から腐敗というか悪事を働くような独裁者、悪徳の王というのもすぐに崩壊するものではありません。

悪が広がる、権力が腐敗するのに10年という期間はそれなりに十分な長さでしょう。逆に言うと、10年を境目にしてそれ以上続けられないようにすれば、国家が破滅的な状況に陥らなく出来るとも考えられると思います。

「十年一昔」と言いますが、10年間というのは時代が変化するのに十分な期間です。今から10年前を思うと、スマートフォンが広がる手前でした。その10年前では2000年問題での騒ぎもありましたが、ホームページでCSSが広まり始めたころでしょうか。そのさらに10年前となると、日本ではNECの98シリーズが全盛を極め、スーパーファミコンが発売された頃ですね。10年毎にさかのぼると、10年間同じ政権が続くのは社会情勢の変化に対応出来ないだろうという気がします。

10年間、権力を維持し続けても社会の変化に対応しきれなくなります。権力構造が時代に対応していない中で、現実の方を権力構造に合わせようとする無理を通せば道理が引っ込みます。10年もやれば次世代に引き継ぐべきなのでしょう。

さて、中国の国家主席も2期10年までだったのですが、昨年制限が撤廃されました。

日本も自民党総裁の任期が3期9年に変更されたところですが、4選もあってもいいのではないかという観測気球も出されましたね。

その時にはこんなnoteも書きましたが、どうなることでしょうか。

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